鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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注(1) 吉川観方福『観方COLLECTION』京都アドコンサルト、1971年に記載。件の資料を管理している。資料館から管理委託を受け、昭和63年より運営にあたっている。(6) 森理恵「ミュージアムという場で考えるコレクションの「価値」」『民博通信』No.11、国立民族学博物館、2003年6月30日(8) 吉川の作品は、ある染織業者が多く所持していたが、不況のため会社が倒産し、現在そのほとんどが行方不明となってしまった。また、個人所蔵の作品群は所蔵者が高齢や財産公開制限のため、なかなか調査ができなかった。(9)小山弓弦葉「風俗研究活動における吉川観方コレクションー特にその染織資料に注目して一」『奈良県立美術館研究紀要』12号、1998年、42■45頁参照。(10) 「肉筆浮世絵刊行会画集』(大正8年)、『近世風俗画集』(大正10年)、『広重の芸術』(大正14年)、『浮世絵の顔](昭和4年)など図、祭礼図、さらにはいわゆる寛文美人図、そして浮世絵師の肉筆浮世絵に至るまでかなりの範疇に及んでおり、浮世絵はいわゆる風俗画の総称として使用している。おわりに明治時代、鎖国が解かれてそれまでとは全く異なる西洋文化が押し寄せ、日本文化のアイデンテイティーがあらためて再確認されるようになって、見直された日本の風俗文化は、当初国粋主義的傾向にあったが、次第に日本人の情緒.感性に呼びかけるものになっていった。吉川は、小袖を着用する女性を描く時に人物の美しさを見出すのと同じ視点で小袖そのものの芸術性を重視し、小袖が風俗画にとってたいへん重要な美的要素だということを伝えようとした。それゆえ、小袖の蒐集や研究にいそしんだのである。吉川コレクションの特色は、そこにかつての日本の生活風景がリアリティーをもって再現できることを目指すものであり、資料を系統立てて分類・保存することを終着点とするのではない。使われていた姿を自然な形で実証することを目標としていたのである。それらを理解した上での活用方法を模索することが、吉川コレクションの意義を認めていくことになろう。和50年)ら浮世絵のコレクションが知られる。また、吉川の恩師、竹内栖鳳(元治元年〜昭和17年)、菊池契月(明治21年〜昭和30年)らも浮世絵や風俗画を多く蒐集していた。(2) 京都府立総合資料館では約15,000件、奈良県立美術館では1,572件、福岡市博物館では約10,800(3) 京都府京都文化博物館では、吉川コレクションを含む約5万件の資料を所蔵する京都府立総合(4) 京都文化博物館組『日本最大級の風俗収集品吉川観方と京都文化』展図録、2002年を参照。(5) 森理恵「女のきものは江戸の美術か」『美術フォーラム21』1号、醍醐書房、1999年(7) 木村斯光(明治28年〜昭和51年)中村大三郎(明治31年〜昭和22年)堂本印象(明治24年〜昭(11) 吉川の認識では、浮世絵とは、近世初期風俗画つまり狩野派の描く洛中洛外図をはじめ、舞踊-35 -

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