鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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(14)樋口弘編『浮世絵の流通・蒐集・研究•発表の歴史(浮世絵文献目録の別冊)』味燈書屋版1972年2002年を参照。(15)吉川観方「井特の絵に就いて」『上方趣味』秋の巻上方趣味社大正11年および同「幕末の(12) 『浮世絵集』第1号〜5号(昭和5■6年)京都精版印刷社発行題字:竹内栖鳳序文:中井宗太郎吉川所蔵の風俗画。各号3■ 4点収録、収録作品には重複あり。序文には、「生活は絵画に描写され、これが初期浮世絵として絵画史上燦然たる光を輝かした。(中略)吉川観方氏は画家として一家をなせるのみならず、古代の風俗に通じ(中略)吉川氏の絵画に対する観照の鋭さ、理解の深さは、印刷術の精緻と相まってここに肉筆浮世絵の真諦を伝えてあまりえないであろう」と賞賛している。(13) 吉川は、『浮世絵類考』及び『浮世絵』を参考にしていたと述べている。前者は、彼が参照した昭和初期には、浮世絵師の伝記・経歴を考証した浮世絵研究の基本書とされていた。大田南畝が編纂したものを原形として、山東京伝、式亭三馬、斎藤月寄らが補訂、増補、再編し各種諸本が流布した。後者は、藤懸静也『浮世絵』雄山閣、1927年を指す。風俗画家、井特」『創画』創刊号創画社昭和2年(16) 永井明生「上村松園の軌跡J[上村松園展珠玉の美人画ーその誕生の軌跡』展図録、日本経済新聞社、2003年など(17) 吉原真龍(1804-1856)大分県生まれ。京にのぼって三畠上龍に入門、美人画を得意とする。嘉永6年に故郷に帰って晩年を送る。字は臥雲、俗称は衛三郎、法橋に叙せられる。(18) 三畠上龍ともいわれるが、生没年不詳。天保期を中心に活躍。四条派の岡本豊彦に学んだと伝えられる。品がよく華やかな美人画で明治以降の京都画壇に大きな影響を及ばす。(19) 観方は自著『浮世絵の顔』(昭和4年)で真龍のことを「髪の生え際や眉毛の描き振りはいかにも上手」と述べ興味を示している。なお、『浮世絵の顔』はその後昭和32年に英語訳付きで紹介する浮世絵をさらに増やして上下二冊で132図掲載され再版されている。(20)名古屋市博物館編集I名古屋の商人伊藤次郎左衛門呉服屋からデパートヘ』展覧会図録、(21) 藤本恵子「近代染色図案の一考察一高島屋史料館所蔵友禅裂地から一」『京都文化博物館研究紀要朱雀』第6集、1993年(22) 森理恵「「キモノ美人」成立過程についての研究ー「日本美術史(染織史)」の形成と日本画、和装界の動向一」『イメージアンドジェンダー』3号、彩樹社、2002年(23) 小袖の全図を紹介する出版物としては、大正7年刊の『江戸時代衣服文様集』芸岬堂があるが、これは写真の掲載はきわめて少なく、多くは木版多色刷の文様紹介である。編集者は風俗研究会の江馬務と伊吹蘇石。(24)小袖屏風とは、小袖裂を誰が袖屏風のデザインに表装したもので、丸山伸彦「近代の造形としての小袖屏風」『野村コレクション小袖屏風』国立歴史民族博物館、1989年に詳しい。(25) 初期:明暦〜正徳(1655■1716)中期:享保〜安永(1716■1781)末期:天明〜(1781■) (26) 又平頃(岩佐又兵衛)、宗達頃(俵屋宗達)、師宣頃(菱川師宣)、懐月堂頃(懐月堂安度)など表記する。(2り凡例に「江戸時代小袖蒐集家で、かの誰が袖百首、小袖と振柚等の著者野村正治郎氏」とある。(傍点原文のまま)...... -36 -

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