注(5) 結語(1) 拙稿「陵王面の形式変遷ー鎌倉時代新形式の成立を中心に一」『美術史』153、美術史学会、(2) 野間清六『日本仮面史』芸文書院、1943年9月(3) 毛利久(解説)「日本の仮面』京都国立博物館編、真陽社、1955年12月(4) 後藤淑『民間の仮面』、木耳社、1969年12月など(5) 田邊三郎助「舞楽面の地方分布とその変遷について」「三浦古文化』8、1970年9月(6) 西川杏太郎「日本の美術62舞楽面』、至文堂、1971年7月(7) 後藤淑『中世仮面の歴史的・民俗学的研究:能楽史に関連して』、多賀出版、1987年2月(8) 田邊、注(5)参照(9) 西川、注(6)参照(10) 井上正「舞楽面源流雑考J『古面』、京都国立博物館福、岩波書店、1982年5月(11) 田邊、注(5)参照(12) 田邊三郎助「舞楽面遺品一覧」『国立能楽堂春の特別展示ー先行芸能の仮面』国立能楽堂、覧として掲載するが、個々の仮面の数を提示しない略表であるため、参考として触れるにとどめる。(13) 調査、見学、あるいは写真の送付をご承諾下さった寺杜ならびに博物館等の方々には、多大なるご助力を賜ったことを、ここに深謝いたしたい。この度、新たに調査させていただいた寺社いて歯をのぞかせる表情など、共通する特徴をさまざまに指摘できる。他に山形県を中心とする東北地方の南部にも、同様の例を見いだせる。先に触れた、阿昨の形に変化した納曽利についても同じことが言える。本来同型の2面で構成されるはずの納曽利を、阿昨の2種1対の形で表現する例があり、ほぼ全てが新潟県内に集中している。これらの地域では、共同文化圏と言えるような強い結びつきの中で、仮面の型の継承が行われていたものと考えられる。以上、本研究では舞楽面の基礎資料の集成が完了したとは言い難い。しかし、その形式の変化に関わる、様々な要因の概要は捉えられたのではないか。そして、個々の舞楽面を分類によって位置づけることは、舞楽の伝播や変遷を論ずる上で、有効な研究であると確認できた。課題としてあげられるのは、異種の仮面における、形式の相互関係に関する考察である。先述した東海・東北地方の数件を除くと、複数の種類の間で形式の共通性が見られる例は決して多くない。しかし複数の仮面の変遷を同時にたどることで、制作時における形式の選択方法を見出せる可能性があり、今後も考察を続けていきたい。2002年3月1984年4月。なお、その後『日本の面』(1987年7月、毎日新聞社)にも舞楽面所蔵杜寺を一-441-
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