等は、次の通りである。宮城県・熊野神社、岐阜県・桜堂薬師区、広島県・吉備津神社、岡山県・福田神社(岡山県立博物館にて調査)、香川県・金刀比羅宮、愛媛県・東雲神杜、長崎県・厳原八幡宮、千葉県・大戸神社、新潟県・弥彦神社、岩手県・天台寺、長野県・光前寺。以前の調査、および写真送付を依頼した寺社については、〔表1〕を参照。なお探索にあたっては、伝来の比較的明らかな国内の遺品を優先した。海外に流出した遺品の確認は、今後の課題として取り組んでいきたい。(14) 拙稿、注(l)参照。(15) 野間、注(2)参照。136頁。(16)例えば、寛永13年(1636)銘をもつ輪王寺所蔵の1面など。(17) ただし、平舞であっても、新鳥蘇では東大寺の1面が、道化師のような表情を見せる他所の面と大きく異なり、また鹿裔八仙は、熱田神宮の鵜のように嘴の突出た形式と、東大寺などの平板な表情の物とに分けられる。しかしいずれも前者の作例はごく限られた数しか遺されていない。(18) 主に林屋辰三郎『中世芸能史の研究』、岩波書店、1960年6月を参照。(19) 『平安遺文』占文書編第1巻、東京堂、1964年4月、第194。(20) 林屋、注(18)参照。247頁。(21) 『吾妻鏡』(国史大系綱集会、吉川弘文館)より「(建久四年二月条)廿七日甲子。鶴岡宮寺舞殿。此間新造。今日被立之。行政総奉行。将軍家監臨給」「(同三月条)三日庚午。鶴岡法會。将軍家御参。舞楽如例。但常宮別常供僧等門弟井御家人子息等為舞童也。」(22) 土谷恵『中世寺院の社会と芸能』、吉川弘文館、2001年1月。その他、高橋美都「寺社行事にともなう「舞楽」の受容と変容について」(『芸能の科学21芸能論考XN」、東京国立文化財研究所、1993年3月)などを参照。(23) 西川、注(6)参照。77頁。(24) 愛知県内では知立神社、東北方面では山形県・熊野神社および成島八幡宮、宮城県・白山神社などが挙げられる。-442 -
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