る。天地創造型マエスタスの展開もまた、創世記解釈の流れで理解すべきだと筆者は考える。序論で述べたとおり、Iという文字の線的な描写空間から円形枠構造へと創世記場面が移されるということは、叙述法に変化が生じることに他ならない。通常、多くの描写空間では叙述に方向性があるが、円環枠に物語が展開する場合、始めも終わりも特定する必要のない時間概念が描写可能となるのである。ひとつは、四季の移り変わりのような反復的・回帰的な時間概念であり、もうひとつは、始めや終わりという時間経過が存在しない、「瞬間」という時間概念である。これはまさしく、1215年、第四回ラテラノ公会議において正式に決定された「世界の瞬間的創造(creatioin instanti)」のドグマに符号する。そもそも、「世界の瞬間的創造」という考え方は、アウグスティヌスの『創世記逐語註解』に由来する。創世記第二章でもう一度繰り返される創造は、最初の創造の業のときに植えつけられた「諸時間の根Jによって順次展開するにすぎず、根源的には世界は瞬間的に創造されたのだと、アウグスティヌスは論じるのである。現在では資料の出自の違いによって説明されている創世記第一章と第二章の矛盾を、ラテン語訳聖書「シラ書」にある「Quivivit in aetemum creavit omnia simul」(永遠の生命のうちにある方がすべてを瞬間的に創造された)という聖句を引用し、ストア派の種子的理法という考え方を活用して、アウグスティヌスは創世記を再解釈するのである。「瞬間的創造」が、公式に認められたのは先に述べたとおり第四ラテラノ公会議であったが、アウグスティヌスの創世記註解が中世を通じて読まれ続けていたことはいうまでもない。結び最後にもう一度、天地創造マエスタスの図像群を見てみよう〔図1,3 -5〕。共通しているのは、天地創造場面が叙述の方向性を特定できないような形で配置されていることである。これらが、ムーズ河流域で作られた『サン・ヴァーストの聖書』の雅歌挿絵〔図11〕に見られるような回帰的時間を表わす図像と構成が類似しているのは偶然ではない。この世における時間の始まり、世界の瞬間的創造という思想を表現しようとしたときはじめて、図11のような獣帯図が天地創造場面に、Iイニシャルが円形構図へと変化しえたのではないだろうか。マエスタス・ドミニとヨハネ神学、イタリア大型聖書の影響やIイニシャル装飾の発展など、さまざまな要素が複雑に絡まりながら、時間の概念図と天地創造場面の融合によって天地創造型マエスタスが誕生し、-453 -
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