鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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Gestaltung der Welt」する科学的思考(だけ)ではなく、「世界へと形態化Gestaltungzur Welt」する神話的想像力において制作していたはずだ(注4)。この報告では、残れらへの積極的な対応として解釈されなければならない(注3)。本研究は、このような前提に立ち、ベーコンが創造的想像力の「図式」をいかに形成したかを、ネオ・ロマンティシズムのミリューとの関わりにおいて確認しようとする試みである。「試み」と留保するのは、作品破棄が行われた結果1944年以前の作品や資料が欠乏しているのに加えて、一次文献となってきたデヴィッド・シルヴェスターとの対談が予定調和的側面を免れていないからにほかならない。しかし、90年代以降の絵画の復権やイギリス美術の台頭を支える多くの作家にベーコンとの精神的係累が指摘されている以上、仮説を承知で試みてみる意義もあろう。主題や造形概念だけではなく図式を重視するベーコンは、カッシーラーの周知の議論に基づくならば、「世界を形態化されたわずかな作品資料の中にベーコンとネオ・ロマンティシズムの関わりを探ることで、文学に惹起されつつ地方(田舎)という此岸と彼岸の狭間にある風景に彼岸的精神を表象しようとしたネオ・ロマンティシズムこそ、「世界へと形態化する」図式が形成される際にその方向性を与えた想像力であることを跡づけてみたい。1.ネオ・ロマンティシズムベーコンが油彩を描きはじめた1929年のイギリスは、制作、批評、ともにネオ・ロマンティシズムが主流を占めつつあったことは今ではあまり知られていない。20世紀初頭から中葉にかけてヨーロッパの諸国のさまざまな芸術領域において確認できるネオ・ロマンティシズムは、イギリスの絵画に限定すると、戦中戦後にあたる1940年代では、自国の美術の主流として認知されていた。中心的な役割を担ったのは、ポール・ナッシュ(1888-1946)、グレアム・サザーランド(1903-1980)、ジョン・パイパ-(1903-1992)、ヘンリー・ムーア(1898-1986)であり、それに、キース・ヴォーン(1912-1977)、ロバート・マクブライド(1913-1966)、ロバート・コフーン(1914-1962)、ジョン・ミントン(1917-1957)、マイケル・エアトン(1921-1975)、ジョン・クラクストン(1922-)といった若い世代が続いた(注5)。「ネオ」と冠がつくようにこの芸術傾向は、18世紀末から19世紀末のロマン主義(ロマンティシズム)を支えた精神性への共感に基づく。神話や伝説に作品主題を求める過去へのベクトルと超越性や無限性という彼岸的なものへのベクトルを、有限の風景画や人物画の中に解消しつつ表象しようとするロマン主義自体そこに形式的特性を求めえないが、それと同様ネオ・ロマンティシズムもまた、ある傾向をさす位括的-459 -

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