3.画業の端緒とネオ・ロマンティシズムそこに「19戦紀初頭のゴシック小説のようなぞっとさせる作品主題」があると指摘し、ベーコンを「私たちが生きるこの時代の悪夢の解釈者」と結論づける(注14)。印象分析としかいえない記述となったのは、情報が不足していたことだけでなく、イギリスの美術批評に固有の問題、つまり、シルヴェスター等が活躍をはじめる1950年代半ばまで、ほとんどの批評が、芸術作品に単一の意味ばかりを求め、曖昧さや多様性を無視していたという事情もあるが、いずれにしてもクラークは、〈絵画》に、ナッシュ、サザーランド、パイパーの「ネオ・ロマンティシズム」とは異なるモティーフがあることを見落としてしまっている(あるいは言及することはなかった)。だがそれらのモティーフこそ、ベーコンにおけるネオ・ロマンティシズムの受容を特徴づけると同時に、「単純ではないリアリズム」に向けての「図式」が彼にあったことを証明する。《絵画》は、肉、叫ぶ人物像、幾何学的フレームなどベーコン作品を特徴づけるモティーフが結集した作品である。鮮やかな色彩によって光景の非現実性を印象づけられるけれども、固有のモティーフ、すなわちシャンデリアや赤い絨毯に眼を向けてみると、それらが画面全体を、都市的で洗練された光景に結びつけていることに気づくだろう。都市や洗練といった「質」により此岸性が強調されていることは、この頃、密接な関係にあったサザーランドの同年の作品《傑刑図》〔図7〕と比較すればより明らかとなる。教会のための注文制作である《傑刑図》においてサザーランドは、身体への敬意を、そして「救済」を表象してきた宗教的図像への信頼を堅持しており、作品に崇高的な彼岸性というネオ・ロマンティシズム的精神が好んだ性格を与えるのに成功しているが、しかし彼岸性にのみとどまってしまっているのも事実である。一方、腕を拡げた肉(体)と画面下部の弧状のフレームにおいてこの《傑刑図》と構図的に照応するベーコンの《絵画》は、たとえ胆嚢と思しき非現実的なモティーフがあったとしても、都市性や洗練という此岸性が引き入れられている。ベーコンは、ネオ・ロマンティシズム的想像力に新たな方向性を示されながらも、完全な彼岸性へと向かうのではなく、此岸的なモティーフを取り入れることで、絵画を多層的にすることを選んでいる。両者の差異は、単にクリスチャンか否かに求められる類いのものではなく、いかなる世界へと絵両を形態化するかという図式に関わっているはずだ。この頃のベーコンに「多層化」への関心があったことをより明確に示すのが、《車のある風景》〔図8〕である。この作品は、車に乗るゲッベルスの写真を引用したベーコンの立場から-462 -
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