15)、ここで看過してならないのは、本来此岸的な植物というモティーフが補筆され1945-46年に制作された《人物像習作I》《人物像習作II》〔図10、11〕では、ツイ16)、「多層的な世界」としての絵画は変化を遂げる。《人物像習作I》、《人物像習作II》、《風景の中にいる人物像》、〔図10,11, 12〕など1945-46年の作品で同一であっ4.モダンにおけるベーコンとネオ・ロマンティシズム《車を降りる人物像》〔図9〕に、画面左上のシュロのような生い茂る葉や、右下の花々が、後年補筆されたものである。繁茂する植物がサザーランドやミントンにも確認できるネオ・ロマンティシズム的なモティーフであるのは言うまでもないが(注た結果に彼岸性をおびることを契機として、作品内容が多層的になっている点である。ベーコン作品における多層性は、彼岸と此岸の単なる併存に限られない。それらを組合せて、時には重ね合わせて変転を生じさせることでも成立する。ードのジャケット、帽子、傘、植物、花、怪物的形象といったモティーフが、それぞれの画面の中で複雑な対比をなして、作品内容を多層性へと開いている。この頃のベーコンは、サザーランドが、彼岸性を喚起させるべくネオ・ロマンティシズム的モテイーフを多様しながら(あるいはそれゆえに)単一性に陥ってしまっていたことから離れるかたちで、作品内容を多層的にすることを志向していたと言えるだろう。そのベーコンの作品内容のトポスは、此岸と彼岸の狭間にある地方ではなく、あくまでも此岸(いま、ここ)であり続ける都市である。文学や現実の風景を参照する点においてはネオ・ロマンティシズムと通底するし、その関心は、以前の作品を改変させる衝動ともなったけれど、此岸とも彼岸ともつかないトポスに彼岸性を仮託するのではなく、あくまでも自らにとって、あるいは実存的人間にとって現実(リアル)である都市という此岸性に彼岸性を組み入れることで、絵画を、多層的な世界へと形態化したのである。なお自らの絵画様式を模索したという意味で過渡期とされる50年代に入ると(注た人物と風景のスケールは、50年代に入ると、《傑刑図の断片》〔図13〕などに確認できるように、操作の対象となる。この操作が、作品内容というよりも、作品形式の多層化を志向しているのは言うまでもない。モダンの価値観が喧伝されつつあった1950年代において、多層性は、作品内容から作品形式におけるそれへとシフトを移したのである。ベーコン作品を特徴づける多層化への志向が1945-46年頃に確立したからこそ、ベーコンは自らの画業の端緒を、1929年でもなければ、はじめて《傑刑図》〔図14〕を-463 -
元のページ ../index.html#472