鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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1王(1) Francis Bacon, Entretiens avec Michel Archimbaud, Paris: Gallimard, 1996 (1992), p. 47. (2) Matthew Gale, Francis Bacon: Working on Paper, London: Tate Gallery Publishing, 1999, p. 14. (3) 想像力を身体に定位する立場は、たとえば佐々木健一、[想像力」『美学辞典』、東京大学出版会、1995年、79-89頁に従う。(4) 高橋義人、「形態学的知から新しき知ヘ代思想』20巻11号(1992年11月号)、1992年、80-93頁を参照。シズムの位相については、大谷省吾、「地平線の夢序論」『地平線の夢』(展覧会カタログ)、東京国立近代美術館、2003年を参照のこと。(6) Margaret Garlake, The Relationship between Institutional Patronage and Abstract Art in Britain c.1945-65, Ph.Diss.: Courtauld Institute, University of London, 1987; Dennis Farr, "Francis Bacon in Context," in: Francis Bacon: A Retrospective, exhibi.cat.: The Yale Center for British Art [et al.], N.Y.: Harry New Abrams, Inc., 1999, p. 21. (7) Alan Bowness, Decade Forties: Painting, Sculpture and Drawing in Britain 1940-49, London: Art Council of Great Britain, 1972, p. 5. (8) Andrew Sinclair, Francis Bacon: His Life and Violent Times, N.Y.: Crown Publishers, Inc., 1993, p. 105; (5) ネオ・ロマンティシズムの定義と時期の画定については諸説があるが、ここではVirginiaMary Button, The Aesthetic of Decline: English Neo-Romanticism c.1935-1956, Ph.Diss.: Courtauld Institute, University of London, 1991に従う。ヨーロソパ以外の、とりわけ日本におけるネオ・ロマンティないリアリズムとして描こうとする想像力、つまり絵画を多層化された世界へと形態化する図式を形成する契機となった。そして彼岸と此岸の組み合わせにより作品内容の多層化をはかるベーコンの営みは、モダン・ムーヴメントの中では、多層性を絵画形式のそれへと変える戦略のもと、その出自を隠蔽しながら展開することを余儀なくされたのである。とはいえ、本来ナショナリズムと連動するネオ・ロマンティシズムが、ベーコンにおいては、彼岸と此岸の併存可能性を示す想像力として機能したことは改めて確認しておくべきだろう。ネオ・ロマンティシズムの想像力を換骨奪胎的に図式化できた理由が、ダブリン生まれという、イギリスとは不可避的に距離を保つことになるベーコン自身の出自にあるのかどうかはわからない。けれども、ベーコンの蔵書にも含まれているマリオ・プラーツの『TheRomantic Agony』に次の言葉を見いだせるとき、少なくともこの書物の初版が発刊された1930年頃のベーコンに、時代精神として、彼岸と此岸との併存を試みるロマン主義の想像力の図式(枠組)に対する関心があったのだと言えるのではないか。たとえその関心がネオ・ロマンティシズムの受容を介していたとしてもにとつで必要な枠組を構成するにしても、それは、全体を仕上げるのであって、条件づけるのではない」(注19)。「もし19世紀の思想や理想の変遷が、私が描いた絵ゲーテ、カッシーラー、レヴィ=ストロース」『現_ 465 _

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