鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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⑯ ピーテル・ブリューゲル,初期風景画に見られる添景人物人文主義的コンテクストにおける考察研究者:お茶の水女子大学教務補佐廣川暁生ピーテル・ブリューゲルの下絵素描に基づく、12枚l組の〈大風景画〉連作(1555-56頃)〔図1-6〕(注1)は、イタリア旅行及びその往帰路で目にしたアルプス山岳風景を基に構成される。ブリューゲルの風景素描は、旅行途上「実景」を前に描かれたものと、アントワープヘ帰国後、旅行中のスケッチを基に入念に仕上げられた「合成風景」に大別されるが、本連作中の下絵素描(3点のみ現存)は後者に属し、その構図は明らかに「世界風景」の定式に依拠していた。鳥鰍図法によるパノラミックな景観を持つ画面には、商められた水平線と複数の視点によって自然の諸々のモチーフを展開させることが可能となる。そこでは「実景」を前に写生した素描には見られない添景人物が、風景の随所に意識的に付加されているのが特徴的である。ブリューゲルの初期風景画の前景にしばしば見られる添景人物、「眺望を見渡す人物」(〔図2B〕〔図4B〕〔図5B〕)と「スケッチをする人物」(〔図6B〕〔図8B〕)に注目したミュラー=ホフ=シュテーデ(注2)は、この意匠とキケロの著作『神々の本性について』第2巻の一部を一般的な類似性を手がかりに結びつけることを試みた。そのテクストとは、ブリューゲルと交友関係にあった地理学者アブラハム・オルテリウスの世界地図帳『地球の舞台』(1579年版)(注3)において、世界地図周囲に配されたカルトウーシュ内に引用されている〔図7〕。実際16、17世紀には地図制作法に様々な表現形式が混在し、地図と風景画にはその視覚表現上のみならず鑑賞法においても類似性を認めることができる(注4)。両者の間には2領域が重なり合う、いわば「地図的風景」といえる作例の存在が指摘されているが、それらの作品の持つ意味や後の展開に関する旦括的な研究は未だなされていない(注5)。その一方で、歴史地理学の分野では、『地球の舞台』や後の『世界都市図帳』のテクスト部分が近年注目され始め、テクストとイメージとが分かちがたく結びついて全体を形成することが次第に明らかにされてきた(注6)。筆者は、以上の状況を踏まえ、16世紀の地図熱を反映した風景画ブームの実態を明らかにし、様式論に抱合し得ない多様性を辿るこの時代の風景表現の特質についてその歴史的位置をより精緻に見極めるべく、地図及び風景版画連作において、テクストとイメージによって描出された世界像を同時代の思想的背景と照合しながら検証するという作業を続行中である。本稿では、2003年度鹿島美術財団研究助成金を基に、ベ-486 -

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