鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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lOA, B〕参照。)その一方で、フーフナーヘルによって制作された《ハドリアヌス山3.〈大風景画〉連作と都市景観図に見るモチーフ上の類似点継がれて多様な展開を辿る〈大風景画〉連作の構図は、パノラミックな眺望を持つ山岳風景と《森に囲まれた地区》に見られるような低視点で眺められた〈森林風景》ヘの流れとに大別することができるが、17世紀には概して後者の方が優勢であった。しかしシルバーが指摘したように、コニンクスローの素描に基づく版画《モーゼの発見》(注19)に見られる森林の孤立したセッティングは、ブリューゲルの人里離れた山岳風景の構図の一種の派生形と捉えることができる。そこでは孤立した未開の地と精神の選択のテーマを喚起する主題とが結びつけられている(注20)。コニンクスローの作例では、パティニールの作例に見られるように、副次的人物によって主題が補完されるのではなく、むしろ、人里離れた巨大な森という舞台設定においてそこで展開する聖なる主題の神秘性や重要性が象徴的に表されている。しかしいずれにしても以上のことから16、17世紀の風景表現における、「魂の選択について瞑想する場」としての概念の存在を明らかにすることができる(注21)。一方、ゲオルク・ブラウンとフランス・ホーヘンベルフによって発行された『世界都市図帳」は、1572年にケルンで印刷された後、約360の図版を含む非常に広範なものへと発展していった。ミュラー=ホフシュテーデがブリューゲルの初期風景画において着目した「眺望を見渡す人物」と「スケッチをする人物」のモチーフは、『世界の舞台』の彫版者であり、『世界都市図帳』制作の主要メンバーでもあったヨリス・フーフナーヘルの手による何枚かの都市景観図の中に見られる。フーフナーヘルの都市景観図において、特にテクストとイメージの関係に焦点を当てて論じたヌッティ(注22)は、制作中の画家の肖像が16抵紀の都市景観図においてよく見られる図像の一つであったことを指摘している。前景におかれた「スケッチに専念する画家」の存在によって景観を観るべき視点の在処が示されるのみならず、観る者は画家の目というフィルターを通してイメージと向かい合うことになる。([図脈の景観図》〔図9A〕においては、洞穴に出入りする旅行者をスケッチしている彼自身の姿〔図9B〕が中景に挿入され、情景の一部を成す(注23)。‘世界の創造者'としてではなく‘「描写された世界」の証人’としての画家の存在は、北方美術においては、ヤン・ファン・エイクにまでさかのぼることができるが、〈ティヴォリの景観》〔図11〕においてはいっそう明確となっているのがわかる。そこではテクストとイメージによって、旅人としての両家自身と、ともに旅した地理学者オルテリウスの-491 -

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