鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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3)熊野の場合れる。しかし、ひときわ大きく描かれる神体山である八王子山の山頂に堂社を描くことにより山そのものの神聖性が損なわれ、やや絵図的な印象を受ける。また、より接近した視点から山内の景観を描く百済寺本や霊雲寺本では匿名的で特徴のない社域の描写となっており、よほどその土地に詳しい人でない限り画面の山水のみから場所の特定をすることは難しい。そうした意味では、名所絵の伝統によって培われた唐崎の松という図像は景観の神聖性を損なわず、かつ図が日吉山王の礼拝画であることを理解する視覚の補助的役割を果たしているともいえる。熊野においても同様の傾向が指摘できる。『後鳥羽院哀記』(注6)には後鳥羽院が新たに制作された「熊野三山図絵」を評して、「回廊以下悉くこれを写す、一として違うところなし」と述べた記事がみえる。ここでは描かれた景観が実際の熊野の景観を再現しているという感覚が共有されていたことを示す事例として解釈できる。観者は何を以て描かれている景観が熊野の地であることを認識したのだろうか。熊野イメージの形成上、欠くことのできないのは那智滝である。山水的要素の少ない本地仏曼荼羅にも描かれており、那智滝が先の山王曼荼羅における唐崎の松と同じく、図像として機能しているといえる。根津美術館の那智滝図は大胆にも、滝のみを画面いっばいに描く作例である。今日、我々がこの絵を見ても那智滝であると解されるリアリティは揺るぎなく存在している。こうしたリアリティを有するが故に那智滝図についても実際に画家が現地へ赴いて描いたのか否かという議論がなされるが、図様の継承等の問題もあり結論を出すのは難しい。また、那智滝図に関しても、本稿の問題とする「風景の図像化」と無縁ではない。例えば那智滝の落下口を太い本流と両脇の細い二筋の合計三筋に描く表現である。那智滝は水量の多い時には一本につながって落下するが、渇水時には三筋になる。那智滝図ではかなり下の方まで三筋に分かれて描かれている。滝の水量の増減を知らなければ描けない表現であるが、この滝口の表現は一遍聖絵にも見られる。一遍聖絵は熊野の景観も含め、既成の諸寺社の景観図様を巧みに絵巻の画面に取り入れていることが指摘されている(注7)。後世の那智参詣曼荼羅に至っては滝口を三又に等角に描いており、図像化の最終到達地点といえる。このように実際の景観の観察に基づいて一旦造形化された景観はその特徴を抽出、誇張し、細部を切り捨てていくことで図像化への一途をたどるのである。なお、那智瀧図の上方に描かれる月について、従来月輪観など信仰上の解釈がなされてきた。礼拝画的な要素が強いため観者は結果的にそこに仏の姿を観想していた可-500 -

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