鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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鉛4文目・硝2文目・白銅2分5厘・紅梅碧3分5厘・大信1分5厘、黄色釉では鉛粉10両・硝粉5両・黄鉛l両・響紅5銭•石粉l両となる(花紺青と石青はコバルト粉は唐の土〔鉛白〕、硝粉はガラス粉、石粉は日の岡石〔珪石〕の粉末)。本焼き後の釉面には上絵が施されるが、その彩料は青と黄で、青花色釉は花紺青1両・白硝l両5銭、青花釉では石青1両・青硝2両という配合となり、また、黄釉は化合物、鉛・鉛粉は鉛白、白硝.硝・青硝は透明ガラスと青色ガラス、大信は日の岡石、黄鉛は唐白目〔酸化アンチモン〕、紅梅咎・碧紅は弁柄)。ここで想起されるのは、先の『陶器指南」に見える「紅尾(毛)焼ノ事」なる一節だろう。紅毛焼とはオランダ写しの別称であるが、『陶器指南』によれば、紅毛焼は信楽産の白絵土に天草石を合わせた素地士で器胎を作り、素焼きを経た後、紺青で絵付けを施し、白玉合せの上薬を掛けて錦窯焼成される。上薬の配合は唐の土100目・白玉100日・日の岡石30目、また、彩料の瑠璃薬は大極上紺青10匁・同白王10匁、紅毛萌黄薬では唐の上100目・白予3匁・日の岡石30目・大極上白緑〔緑青〕2匁8分という配合になる。いま、『陶器指南」に見える紅毛焼と木米のオランダ写しを比較してみると、例えば、前者の白胎に対して後者は白絵土の化粧掛けとするなど、オランダ写しの捉え方そのものに基本的な相違が見られる。それらについて、ここで子細に検討することはできないが、京焼におけるオランダ写しには乾山にその先蹴があり(注3)、また、木米の『古器観図帖』にも藍絵風景図のブルー・デルフトや「頁の葉文」色絵デルフ卜陶の模写が見られるなど、従来もいくつかの資料が紹介されてきた(注4)。興味深いのは、木米が乾山のオランダ写しについて「乾山者、学西洋器之釉法、不能成、而綾得作坪身本而已」と評していることであるが(注5)、いま、木米自身のオランダ写しに関する新たな資料が加えられたことは、京焼技法におけるその理解を更に深めるものになると言ってよいだろう。明炉五彩、赤絵釉江戸時代後期の京焼に関する技法書には、先の『陶器指南』の他にも数種のものが知られている(注6)。しかしながら、木米の陶技については、「陶法手録」の出現を待って初めてその実際を窺うことが可能となった。ここでは、手録に見える木米の釉上彩料について眺めてみることにしよう。ここで、明炉五彩というは、手録においては「明炉五彩苗画釉方」と記されるものは3銭・1両3銭・1銭)をもって調合すると見えるから、これは透明釉となる(鉛-42 -

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