鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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l)御蓋山能性はあるが、歌枕としての那智には滝とともに月があわせて詠まれてきたことも付言しておきたい。2、春日曼荼羅における風景の図像化春日曼荼羅にはパッチワーク状の樹木で埋め尽くされた椀状の山(御蓋山)とその陰に一回り大きくやや暗めの色調で彩色された峰をもつ山(春日山)、その端の月輪、やや離れて山裾のみ少し見える金泥彩色された山(若草山)が定型となって描かれる。垂迩画に描かれた山水のうちでは風景の図像化が最も効果的に進んだ表現であるといえる。正安□年(1300)に観舜が描いた湯木美術館所蔵春日宮曼荼羅は、春日宮曼荼羅の基準作であり、定型化が完了した時期の作例とされる。画面上部中央の椀を伏せたような形の良い御笠山とそれを縁取るような暗い色調の春日山が奥に描かれている。奥の春日山を暗い色調で描くことで美しい御笠山のパッチワーク状の彩りの美しさがよりいっそう引き立っている。向かって左に少しだけ山裾の稜線が見えるのは若草山である。湯木美術館本では緑青の上に金泥で輪郭を縁取られている。三山の位置関係は実際の地形におおむね基づいているが、当然のことながら御笠山の稜線はこのように滑らかではなく、また、参道から真正面にみるのは難しいことなどから、理想化された景観であるといえる。東京国立博物館本春日宮曼荼羅〔図1〕〔図2〕は湯木美術館本に比べると多少奥行きが感じられる。御蓋山の樹木は稜線からややはみ出し、奥の春日山はやや歪に描かれている。若草山は金一色で彩色されている。なお、東京国立博物館本の類例作といえる南市町本は御笠山と春日山の色調の差があまりないが、樹木の大きさに変化をつけることで遠近感を感じさせる表現となっている。若草山の稜線は墨線により二重に描かれている。春日三山の図像は宮曼荼羅以外の仏画にも取り込まれており、表(注8)にあげたように観音菩薩や地蔵菩薩、北斗九曜影向図など南都の諸信仰の尊像と組み合わされた作例が多数みられる。春日社殿や参道などの景観モチーフや本地仏を必要としないほど、春日三山の型が図像として独立していったことがわかる。こうした春日□山の描写の細部には諸作例間での差異も見られるため、以下に各山の描写のバリエーションを簡略にまとめておきたい。御蓋山は春日社第一殿の鹿島神が鹿に乗って降り立った地である。山内には社殿も-501 -

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