MOA美術館本など、山頂に神鹿が描かれる作例もある。椀を伏せたかたちのよい神あるが前述の奈良国立博物館本山王宮曼荼羅とは違い、画中に描かれることはない。奈備型の山の稜線の枠内を桜や紅葉などの色とりどりの樹木で埋めるのが定型といえる。稜線はおおむね左右対称の椀型であるが、やや一方に傾いて歪に描かれている作例がある。2)春日山春日山は南北(画面では左が北)に連なる連山であり芳山、花山、香山などの複数の峰からなる。御蓋山の奥に描かれ、やや暗め色調、あるいは御蓋山よりも稜線内に埋める樹木を小さく鱗状に描いて遠近感を表現している作例が多い。稜線は起伏の激しいものとなだらかなものの二つのタイプがある。最南の峰である香山を他の峰と区別し、強調して描いている作例も多い。また、香山と隣の峰の谷間に樹木や人工物らしきものを描いている作例がある。3)若草山若草山は画面の最上部左端に描かれ、山の半分、あるいは三割程度しか描かれていない。山の内側に同心円状に線を二重、あるいは三重に引くものがある。これは本来三笠山と呼称されたために御蓋山と混同されたように、三層の丘陵になっていることを表現しているものと考えられる。また、多くの作例が金色で彩色している。若草山では現在も山焼きが行われているが、中世には既に行われていたと考えられ樹木を伐採した禿山の表現であると考えられる。さらに、掛幅以外の厨子や板絵等の横長の画面形式においても、ほぼ例外なく画面の端で切られるように裾野のみ描くことには何らかの意図がうかがえる。若草山は春日杜・興福寺と東大寺の境界に位置し、しばしば境界争いが起きたという(注9)。春日曼荼羅はいうまでもなく、春日社、興福寺側で制作されたものであるため、画中に若草山の一部を描くことにより、社地の境界を示す意図があったとも考えられる。また、裾野に松を描く作例が僅かにみられる。3、春日コ山図像の広がり聖徳太子絵伝への流入これまで見てきたのは、垂迩画の範疇におさまる絵画であったが、垂迦画以外の絵画にもこの春日三山の図像が確認できる。表にもあげた東京国立博物館所蔵、法隆寺献納宝物四幅本聖徳太子絵伝〔図3〕は嘉元三年(1305)に制作された基準作である。聖徳太子四十六歳の「奈良巡遊」〔図4〕は九月に聖徳太子が奈良の地を訪れ、平城-502 -
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