鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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DE EYCK ME FECIT+ [COM] PLEVIT AN[N]O 1439ヨハンネス・ド・エイクがわたかれた幼子は、伸ばした右腕を彼女の首に回しつつ、数珠を握った左手をからだの外に投げ出し母の右肩に沿わす。この聖母子がいる「閉ざされた園hortusconclusus」は、通例に倣い赤い薔薇の花壇で後方への空間的な連なりを遮断されている。庭の左手前には六角柱の基底部に細い円柱を伸ばす泉が立ち、ライオンを象った装飾が配された円い水盤に噴流を落とす。この水盤は虚構の絵画空間を飛び出し、観者がいる現実空間との間に不断の連続性を生じさせている。それら図像領域を取り囲む枠は、古色を帯びた大理石に見まがうように彩色描画され、下辺小挟りには二段にわたるインスクリプション一上段には「ALSIXH XAN己の能うかぎり」、下段には「JOH[ANN]ESしを作り+1439年に完成させた」ーが、いかにもそこに刻字されているかのように筆書きされている。一方《聖バルバラ》は、17世紀のいわゆる「ペン絵画penschilderij」の前哨をなすべき、グリザイユ技法による絵画的素描あるいは素描的絵画であり、未完か否かで判断の分かれる作品として知られる。左手にアトリビュートの椋欄枝を持し、右手で膝上の本の頁を繰りながら坐すバルバラの後方では、彼女が自身の父親によって幽閉されることになる三つ窓の塔が建設途上のさまを見せている。バルバラの姿は前景の小高い丘上にあるにもかかわらず、中景の塔によって後方への奥行きを遮断された場に閉じ込められた状態にあり、それはまさしくこの処女聖人が殉教したことに因み、薔薇の生垣による「閉ざされた園」で幼子を膝上に坐して件む聖母、すなわち神の花嫁と同義の記号性を表象していると解することをわれわれは憚らない。そうした意味的かつ即物的表象の用をもつ閉ざされたイメージの枠取りは、ここでもまた画家自身によって石造りの額縁に擬して彩色されている。くわえて、表象領域のことごとくが大空を除いてモノクロームの非現実的な仮象に留まっているのに対し、この「板」の裏面は画枠部分と等しく連続して碧王模様が施されている点は注目に値する。このことに関連して、近年の科学的調査はヤンの踏んだであろう《聖バルバラ》の制作手順を跡付けている。以下は、その概略である。まず画枠の地塗りは、主たる表象領域(通常の画面)に彩色された大空の青よりも前に施され、また支持体裏面の碧玉模様は画枠部分の前面に絵具が及ぶの回避するために、当の画枠よりも先に彩色された。つまり、この作品は支持体裏面、画枠、支持体表面の順、すなわち裏面を含む周縁部分から表象領域へと周到な段取りで順に「描かれた」可能性が極めて高い。翻り、《泉の聖母子》の制作手順はなお詳らかではないものの、《聖バルバラ》との比較によって、画家にとっての彩色画枠、あるいは画枠部分も含めた綜合的な「絵-511 -

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