画」の構想を意味づけることは可能であろう。われわれが「周縁」と諒解している彩色画枠部分も、ヤンにとっては主たる表象領域だったにちがいなく、あくまでも仮象そのものである表象領域(=絵画)と見なしている部分は、画枠たる存在物を表象した変則的形状の「絵画」に内包される「画中画」に当たるのである。泰斗パノフスキーは1953年初版の記念碑自著において、ヤン・ファン・エイクの彩色画枠に関してひとつの視座を提供している。それをほぼそのまま借りると、ヤンは自作において単に技巧の妙を誇示したにとどまらず、表象された画像自体の物質性を強調讃美し、再現描写という事象に対する[自身と受容者双方による]熱狂に導かれるまま画枠を大理石に擬装変容させ、ついにはその貴重にして高価な大理石に取り囲まれたイメージ領域の物質性も併せ含んだ一個の複合美術品に仕立て上げた。パノフスキーの所説を敷術した60年代のケンメラー=ジョージは、大理石を模した彩色画枠の}原泉を予めトレチェントのイタリア絵画に認めたうえで、ヤンが先行する墓碑彫刻を参照し、その現世的かつ永遠に物資化された具体的存在性を翻案し、画枠を併せた自作の表象に応用した旨を主張した。大理石を模して彩色描写された画枠は、1330年頃ピエトロ・ロレンツェッティによって、およそ何の前触れもなく成立した。ビザンティンのモザイク壁画から図像の形式を受け継いだ当該作品は、聖母子と悲しみのキリストとで対を成すデイプティクであり、各翼部が元来の額縁で取り囲まれている。この額縁は支持体とは別構造の、近代以降のわれわれが定式化している額縁の形式と一致する。しかし、ここで注目すべきは、そのさらに内側にも大理石を模した内枠が描きこまれていることである〔図3〕。両手を身体の前で重ね、こうべを垂れる悲しみのキリストは、彼自身の姿を取り囲む「大理石の枠」と物理的にも意味的にも同一化し、外側にある矩形の「額縁」の中では、もっばら「画中画」のように見える。キリストを囲む枠どりを複層化することで、彼の姿は現実から戟然と隔てられ、完全に物質化している。これと同じことが、初期ネーデルラント絵画にも見て取れる。たとえば、摸作で伝わるヤン・ファン・エイクによる〈キリストの肖像〉二種が、それに当たる。ブリュージュに現存する17世紀前半に制作されたレプリカでは、逸名の摸作者が写したのは聖顔を表象したイメージ領域だけではなかった。彼は、「ALSIXH XAN己の能う限り」「Joh[ann] es de eyck Inventor anno 1440. 30 January. ヨJヽンネス・ド・エイクが2 イメージを内包する彩色画枠1440年1月30日に創造した.」というヤンの署名年記とモットーのインスクリプショ-512 -
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