比較によって、具体的な受容過程を推測させるに相応しい重要な作品である。原画〔図l〕は、絵具層の経年変化による亀裂が見多しく、とりわけ聖母の左手と幼子の腰に巻かれて下方に垂れる白布の上に顕著である。他方、レプリカの方も経年劣化による亀裂こそ当然のこととして、なお聖母の左薬指にはリングが嵌められ、幼子を旦む白布には朱色の糸で細やかな装飾が施されているさまをつぶさに観察できる。それぞれの聖母が羽織る外衣の襲は、なおも原画が摸作を凌ぐ繊細さで描きこまれた痕跡を伝えている一方、摸作の様式における歯切れよさと線的な精巧さは顕著で、シルヴァーはそこに摸作者のヤンに対する大胆な対抗心の表出を認めてさえいる。原画では、すでに述べたとおり大理石に擬した彩色画枠がイメージ領域を取り囲んでいる。この彩色画枠が、構造的にもイメージの支持体とは切り離すことができないように組み付けられていることは既述した。それに対して、レプリカに現在附属している額縁は後補である。枠を外した状態〔図8〕では、彩色されずに措かれたマージンを四周に残す支持体があらわになる。この周縁部には原画と同様の外見を呈する画枠があったことを容易に想像させると同時に、その画枠はイメージ領域と構造的に一体化していたものではないことも確信させる。これら原画と摸作は、ともに一昨年アントウェルペン王立美術館とベルギー王立文化財研究所の共同チームが行った科学的調査に供された。そして、その調査はふたつの輿味深い事実を報告している。すなわち、摸作の支持体裏面には、粗く削られてしまってる原画の裏面における欠を補うかのように、大理石を模した茶褐色の彩色が遺されており、また主として年輪年代学調査により摸作は原画の完成後ほとんど時期を隔てずに、ヤンの工房で制作された可能性が高い。このことから、われわれは以下のような諸々を改めて確信することが可能である。ひとつには、原両《泉の聖母子》には《聖バルハラ》と同様に、支持体裏面にも大理石に擬した彩色描画が施されていた。<わえて、摸作は原画における彩色画枠とイメージの物理的な一体構造こそ引き継いでいないものの、意味的な構造(あるいは構想)をそのままに引き写した。よって、彩色画枠は単に「枠Jに係るものではなく、裏面にも及ぶイメージ領域でさえあったと解される。そうした意味を内蝕するヤンの原画は、何某かの需要に応えて工房内で忠実に複製された。ところで、ダーネンスは《泉の聖母子》がヤンの造形言語で翻訳されたビザンティン・イコンである旨評言した。その場合に彼女が想定したのは、《ウラデイーミルの4 新たな聖母子図像の生成と彩色画枠-514 -
元のページ ../index.html#523