のものの顕現であり、一方ヤン・ファン・エイクが彩色画枠に記した「わたし」が、表象された聖母であると同時に、聖母を表象したイメージとそれを取り囲む画枠やマーブリングした支持体裏面をも併せた「物」の総体を表象していた。したがって、摸作者が引き写したのはヤン自身によるヤンの描いた聖母子像の表象された画中画であるとの喩えは、決してゆえなきことではない。《泉の聖母子》や《聖バルバラ》における「閉ざされた園」、あるいはその翻案という象徴的な図像は、その象徴性自体を顕現するための彩色画枠付き絵画という形式形状によって意味の強化がなされ、またその意味の強化は不可視の象徴性を即物的な物質性に換言するプロセスであった。そして、個人的析念行為という近世的な美術受容の媒介形式は、ハイジンガが自著『中世の秋』で強調した、物質性を重視する実利主義的な観念を擬装している。このことは今後なお、絵画のみならず同時代の彫刻をも視座に据えた考察が加えられねばならない。例えば「閉ざされた小庭beslotenhofje」の名をもって形式が自己既定される個人的祈念用の小櫃は、その内部に据えられる小彫像の制作がもっぱらブリュッセルとメヘレンの工房に委ねられ、独特の生産圏を形成していたことや、それらの主な受容者であったネーデルラント固有のベギン会の女性たち、すなわち半聖半俗の集団生活を営んだ女性たちが、実のところ彫像の彩色作業にも関与していたことは、パノフスキーがヤンの彩色画枠をもって示した「複合美術品」の実相を、いっそう明確にすることを促すであろう。(紙幅の都合により注を割愛し、代わって本稿作成に係る参考文献のみを列挙する)Maryan W. Ainsworth, Gerard David. Purity of Vision in an Age of Transition, Ghent/ Amsterdam: Ludion, 1998 Maryan W. Ainsworth and Keith Christiansen (eds. by), From Van Eyck to Bruegel: Early Netherlandish Paintings in the Matropolitan Museum of Art, New York: Harry N. Abrams, 1999 Till-Holger Borchert, De eeuw van Van Eyck. De Vlaamse Primitieven en het Zuiden 1430-1530, Ghent/ Amsterdam: Ludion, 2002 Monika Cammerer-George, "Eine italienische Wurzel in der Rhamen-Idee Jan van Eycks," rn Kunstgeschichtliche Studien fur Kurt Bauch zum 70. Geburtstag von seinen Schiilern, Munich/ Berlin: Deutscher Kunstverlag, 1967, pp. 69-76 Elisabeth Dhanens, Hubert en Jan Van Eyck, Antwerp: Mercatorfonds, 1980 Susan Foister, Sue Jones and Delphine Cool (eds. by), Investigating Jan van Eyck, Tournhout: Brepols, 2000 Craig Harbison, Jan van Eyck: The Play of Realism, London: Reaktion Books, 1991 Paul Mitchell and Lynn Roberts, A History of European Picture Frames, London: Paul Mitchell Ltd. and Merrell Holberton Publ., 1996 Larry Silver, "Fountain and Source. A Rediscovered Eyckian Icon," in Pantheon, XVI (1983), pp. 95-104 -516 -
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