鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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注(1)二階堂充[真葛伝来青木木米のく陶法手録>について」(I横浜美術館研究紀要』第5号、(2)脇本十九郎『平安名陶伝木米』(洛陶会、1921年)、263■267頁研究紀要』第7号、2001年)には、乾山のオランダ写しについて最新の研究成果が示されている。(4) 尾崎正明氏の「青木木米の周辺](『古美術』64、1982年)には、それらが図版として掲出されている。(6) 入江佳代氏の「文献にみる軟質施釉陶器の釉薬」(研究集会資料集「軟質施釉陶器の成立と展開』、関西陶磁史研究会、2004年)には、江戸時代後期の京焼を含む多数の陶法書が一表にまとめられている。(3) 荒川正明氏の「鳴滝・乾山窯址出土の染付磁器乾山焼の唐様に関する一考察」(『出光美術館(5) 青木木米「上奥殿侯書」(朱笠亭著・木米翻刻『陶説』所収)る透明釉の工夫、あるいは、木米が親しく手にし、かつ、自らその寸法や掛目を記した交趾香合の記録などであり、そのいずれにも、今後の検討に期すべきことは多いと言えるだろう。おわりに近年、江戸時代の京焼に関する新たな研究動向が確かな輪郭をもってその姿を現すようになった。そこでは、仁清の色絵技法や乾山の染付磁器に対して従来にない実証的な検討が加えられ、また、清水焼についても新たな資料の出現による研究の進展が見られるなど、その成果のいくつかは既に共通の知見として定着するに至っている。本稿で取り上げた木米の「陶法手録]は近年になって再発見されたもので、その研究はまだ端緒が開かれたばかりである。しかしながら、そこに見られる記述の農富さは、木米陶技の実際を示してはなはだ有益であり、今後における検討の如何によっては、江戸時代の京焼に関する上述の研究動向に悼さすものともなり得るだろう。いまはそれに期待しつつ、一旦本稿の筆を欄くことにしたい。2003年)-45 -

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