異なる。等益の「雪山行旅図」(益田市立雪舟の郷記念館)に見られる点景人物が、「傘をさした徒歩人物」であるのに対して、山雪の「江天暮雪図」(東京国立博物館)では「マントを着た騎馬人物」が描かれる。この「マントを着た騎馬人物」という点景人物の姿は、山雪における草体の雪景山水図が、南宋の画院画家梁楷の「雪景山水図」(東京国立博物館)に準拠していることを指し示すだろう。山雪の雪景山水図には、この「マントを着た騎馬人物」という、梁楷画に由来する指標的モティーフが頻出する。これに対して、等益の雪景山水図の中に描かれる点景人物の姿は一定しない。さきにあげた四点の等益の草体雪景山水図の諸作においても、「雪山行旅図」及びメトロポリタン美術館の「濤湘八景図屏風Jでは「傘をさす徒歩人物」が、北野天満宮の「高相八景図屏風」では「従者を連れ、傘をさす騎馬人物」が描かれ、萩市郷土博物館の「濤湘八景図屏風」には点景人物が描かれない、という具合である。このような、等益の草体雪景山水図における点景人物の扱いのばらつきは、等益が、山雪ほどに典拠を明示する、あるいは、鑑賞者に対して古画引用への理解を期待するという意識がなかったことに起因しよう。これにより、等益の草体雪景山水図の淵源を推定することはやや困難であるわけだが、「傘をさす徒歩人物」が四点のうち二点の絵に共通する点景人物として描かれていることに着目すると、いわゆる「夏珪モデル」に思い当たる。「夏珪モデル」とは、リチャード・スタンリー=ベイカー氏および山下裕二氏によってその影響の大きさが明らかにされた(注2)、現在では失われた、伝夏珪筆の灌湘八景図である。この、「夏珪モデル」の灌湘八景図のうちの江天暮雪図の図様と関係するものと考えられる作品において、等益画に見られるような雪山と枯木、そして「傘をさす徒歩人物」の組み合わせが見られるのである。その例として、夏珪様の「雪山爾寺図」(ボストン美術館・図7)と、祥啓筆「江天暮雪図」(白鶴美術館・図8)などがある。山雪の場合には、梁楷画は意識的に「引用」されているように思われるが、等益の場合は、おそらく夏珪由来のモティーフを用いているという意識はない。むしろ、等益の場合は雪舟画を媒介として夏珪モデルを用いているのではないかと思われる。「傘をさす徒歩人物」は、雪舟の冬景山水にしばしば描かれるモティーフであり、「倣夏珪冬景山水図」(個人蔵・図9)には、雪山、枯木とともに、この「傘をさす徒歩人物」が描かれる。-541 -
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