「DeCubisme」も含まれている。前田の翻訳によると、「Cubismeの債値を計る為にはGustave Courbetに遡らなければならない」という(注17)。3.帰国と前田のレアリスムいく。前田は、震災により送金が止まった大正12年(1923)の秋から春にかけて、読書や翻訳に熟心に取り組んでいた。当時彼が読んだ本の中には、キュビスムの理論書この一文が前田にクールベを発見させたとの断言はできないが、一つの契機にはなっただろう。福本により共産主義の考え方を学んだ前田は、クールベの政治的な思想にも大きな共感を抱いたに違いない。その後、前田は大正14年(1925)初頭、A.エスティニャール著『クールベその生涯と制作』を翻訳し、「クールベの一生」として『中央美術』に掲載させる。また、帰国後の昭和3年(1928)にはそれを下敷きにした単行本『クルベエ」を発行する。この本の中には、前田がクールベの人生と、現実主義ともいうべき彼のレアリスムに惹かれていることを示す文章がいくつか見受けられる。例えば、以下の通りである。「彼の燃える様な熱情と頑強な意志とを以て生活を貫き、遂にラ・コンミュンの一員として革命に参加し、捕へられて獄中に餘生を送るに到つた生涯を知るに及んでは、ー入厳粛な氣持ちで彼を眺めずには居られない」(注18)。「我々現代人はセザンヌの纏畳的構成の要素そのものから喜びを感じて端的に藝術の極地に飛び込むことが出来る。それは現代人の幸福である。だがクルベエの残した頑強な意志と冷酷な物的探究の作品から誰しもが鰯れなければならない生ま生ましい現賓の生活に引戻される時、我々は先づ人間である事を識つて慎線に動き出す底力を得なければならない」(注19)クールベの人生と芸術を研究することと、美術館や画廊で実見した数々の西洋名画の印象を整理し、自分の制作に反映させること。その二つが、留学終盤の前田の関心事だったと言ってよいだろう。留学最終年の大正14年(1925)上旬に前田は、古典絵画を思わせるような静謡さを湛えた油彩画《J.C嬢の像》を完成させた。この作品は、第6回帝展で特選を受賞する。前田は、大正14年(1925)7月1日パリを発ち、帰国の途に就く。日本での前田は一九三0年協会と帝展を舞台に活躍し、旺盛な制作活動と画論の執筆等によって画壇の寵児となったものの、程なく病気により夭折してしまう。以下に、帰国後の前田の足取りのうち、重要な出来事を記してみる。大正14年(1925)夏大正14年(1925)10月帰国。《J.C嬢の像》により、第6回帝展で特選を受賞する。-556 -
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