3. 2001年度助成1.ウッフィーツィ礼拝図に就いて多少のこと① ボッティチェッリのメディチ家肖像画に就いて(de'Lami, 1411-81)(注1)が、自分の近所に住みメデイチ家と関係の深い画家ボッー一ウッフィーツィ礼拝図とメダルをもつ男の肖像研究者:流通経済大学経済学部教授関根秀はじめにボッティチェッリの描く男性肖像画にはしばしば独自の個性が認められ洗練されているものも少なくない。とくにメデイチ家の人々を描いた肖像画、彼の肖像画の代表作といえるウッフィーツィ礼拝図つまり〈東方三博士の礼拝》〔図1〕や《老コジモ・デ・メデイチのメダルをもつ男の肖像》〔図2〕はそれに該当するであろう。この二つの作品は画家の初期様式に属す作品である。色彩に対する感覚、若々しい描写法、レオナルドの言う略図的な風景描写、澄んだ空気の表現、対象を際立たせる構図法など共通点も多い。しかし一方で、この時期のボッティチェッリには、〈ラ・フォルテッツァ》(1470年)や〈サン・セバスティアーノ》(1473年)のような徹底的に細密表現に取り絹んだ作品も存在する。公的な委嘱、私的な委嘱によるものか、何らかの意味において、画家はこの二つの表現法を使い分けていたと考えられる。さて本論ではとくに、ウッフィーツィ礼拝図〔図1〕と《コジモのメダルをもつ男の肖像》〔図2〕を採りあげ検討することで、メダルをもつ男の肖像の未だ解決を見ていない制作年代や人物の同定の検討を行ない、この板絵の全体像を知る手がかりとしたい。それはボッティチェッリの描く肖像画研究に有益なだけでなく、ボッティチェッリ芸術全体の理解という点からもきわめて意味のあることと信じるからである。ウッフィーツィ礼拝図つまり〈東方三博士の礼拝》は、フィレンツェ生まれの悪名高き金融業者グアスパッレ・ダル・ラーマ(デ・ラーミ)Guasparredal Lama ティチェッリに委嘱して描かせた板絵である。この板絵に就いて、私は随分と色々な所で色々と述べてきたので(注2)、ここでは今まで述べてなかったことを中心にいくつかのことをしるしたい。二十歳代前半の若いボッティチェッリは、1469年10月9日に師フィリッポ・リッピが亡くなるまで師の強い影響のもとに初期の画風を形成し、メデイチ家のいわば「宮-562 -
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