ァンニ説を提唱し、42オという比較的若いうちに死んだ最愛の息子ジョヴァンニを年老いた父コジモは悲しく思い、没後に肖像画を描かせたが、ボッティチェッリはその絵に基づき、風の吹くアルノ河を背景に父コジモのメダルをもたせてジョヴァンニを描いた、と述べている(注19)。興味深い見方ではあるが、これも豊かな空想の産物と私には思われる。ライトボーンは、肖像主はメデイチ一族の者というよりメダル作家の可能性が強いと指摘した上で、ただ十年前に作ったメダルを手に持って描かれることは奇妙なので、やはりコジモと個人的にか政治的に近かった人物であろう、と述べている(注20)。マンデルはボッティチェッリの兄の一人、金銀細工師でメダルを研いていたマリアーノ・フィリペピ(1430年生まれ)としているが、これも年令から否定されよう(注21)。近年カネーヴァはボッティチェッリの自画像であるという説を出している。ボッティチェッリは1444/45年生まれで年令的にも合致し、兄が研いたメダルを手に持っていることからも薗酷はないと主張している(注22)。しかし彼の言う1475年の直前という制作年代を考えると、ライトボーンが述べたように十年前に作ったメダルを手に持って描かれたことになりやはり不自然であろう。そこでこの作品をもう一度、初めからよく考察してみよう。メダルをもつ男は自分の心臓を差し示すかのように、名の伝わらないメダル制作者によってフィレンツェで作られたもの〔図3〕に似た「コジモのメダル」を両手で掲げている。絵の中のメダルはテラコッタに鍍金したもので画面に嵌め込まれている。コジモのメダルにはいくつかのヴァリエーションがあり、この絵に見えるものは図3に最も似ているが、全く同じというわけではない。ボッティチェッリの絵のメダルではコジモの肩の背後に「PPP」(PrimusPater Patriae)の文字が見えない。長い年月を経て「PPP」の文字が剥落してしまったか、もともとなかったのか、私はフィレンツェに行って実際にこの絵の前に立っても微妙に判断がつかなかった。ただ、テラコッタが割れていたり擦れているところを見ると、あるいは最初は「PPP」の文字が鍍金されていたのかもしれない。だがいずれにしても、老コジモのメダルには違いない。画家はあくまでもこのメダルを特に目立たせる目的でわざわざ絵のなかに嵌め込んだものと考えるべきだろう。そうしてみるとここに描かれた若者は自分がコジモの信望者であることをきわめて強く訴えかけていることになる。若いメデイチ家の人物がこのような形でメダルを胸に抱いて自分の肖像画を描かせる理由はないであろうから、おそらくメデイチ家の周囲にいてこれからメデイチ家に取り入ろうとしている人物か、あるいは、最高権力者のメデイチ家一族の仲間入りが叶い、メダルを手にメデイチ家との関係をおおいに誇示し喜びを隠せない若者ということになるであろう。-566 -
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