de'Magiという俗人組織がフィレンツェ政府の協力をえて主催する、盛大な東方三博しかし、この人物はいったい誰なのか。彼はその表情と姿から意志の自立性が高く、某かの将来が約束されている様子の自信を示している。ボッティチェッリは師リッピの没後、いやそれ以前からメデイチ家との関係を深めていた。ラルガ通りのメデイチ宮殿にあるベノッツォ・ゴッツォリの有名な《東方三博士の旅》が示しているように、また私が流通経済大学論集に書いたように(注23)、東方三博士とメデイチ家は、コジモが支配する、サン・マルコ聖堂に属していた東方三博士平信徒会Compagnia士の祝祭をとおして、関係が深かったのである。当時ラルガ通りで行なわれた祝祭にコジモはマギの一人に扮して参加したこともあった(注24)。そうした光景を少年ボッティチェッリは目にし、ロンドンにある細長い礼拝図を描いている。そこに描かれているのはまさに毎年冬一月に行なわれる祝祭の光景である。東方三博士Magiとメデイチ家との結びつきは、15世紀には三博士が、旅、商業、騎士、王の守護聖人だったことによるのである。メデイチ家はこの組織をはじめ宗教に名を借りた様々な平信徒会という内実は軍隊組織を使って、フィレンツェを支配していたのである。15世紀の平信徒会は全て軍事的な組織で、勝手に入ることも抜けることもできないものであった。1464年8月コジモが死ぬと繁栄を誇ったメデイチ銀行も蒻りを見せ、65年銀行は危機に陥り、66年9月あとを継いだ息子ピエロに対する反逆事件まで起こり、権勢は一時衰退した。そうした事情からマギ祝祭パレードはやがて行なわれなくなり、マギの祝祭は聖堂内で行なわれるようになる。それを反映してフィレンツェ礼拝図からパレードは消える。つまり横長の礼拝図形式から中央礼拝図形式へと構図様式も移行するのである。ボッティチェッリのウッフィーツィ礼拝図はまさにその廓矢である。上で述べたことを考えながら、再び《メダルをもつ男の肖像》の考察に戻ろう。背景は初春の風景のように見え、川原には生き生きした青い草が繁っている。若い男は黒っぽい服を着て赤い帽子birettaをかぶっている。コジモのメダルを自身の心臓にかざし、コジモ亡きあと、これからメデイチ家の寵愛を受けようとしているかのようだ。左手の小指に金銀細工の指輪をはめ、これから人生へ出発する人が着るような真新しい白シャツを首から見せている。何とも若々しい様子である。空の雲と背景の略図的な山々、プラトーコンポジション(高台構図)という新しい構図法、ボッティチェッリの描いた他の男性肖像画とは何かが決定的に違い、画家のもつ最もその人らしい技法の全てを使いながら、全く自由な雰囲気をもつこの若者は、他人を描いたのではなく、自分自信の誇りうる現在の幸せを画家が描いているように見える。ボッテイチェッリは自画像を《東方三博士の礼拝》のなかの右端に描いている。その自画像-567 -
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