鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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〔図5〕とメダルをもつ若者〔図6〕とを比較すると、メダルをもつ若者の方が年令は少し若いように見えるが、顔の骨格や、目や鼻や口の形がよく似ている。撫で肩の形まできわめてよく類似している。またこのメダルを持つ若者は、弟子のフィリッピーノ・リッピがサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂に描いた「ボッティチェッリの肖像」〔図7〕ともよく似ているのである。上に述べてきたことを踏まえて、こうした類似性を考慮し、私はメダルをもつ若者はカネーヴアが主張しているように、ボッティチェッリの自画像であると結論づけたい(注25)。制作年代はカネーヴァとは違い、1470年頃であると思う。1469年秋、師リッピは没したが、幸運にも《ラ・フォルテッツァ》の委嘱をうけフィレンツェで華々しくデビューしたボッティチェッリは、今度は自分がメデイチ家と最も強い関係を結ぼうとしていることをこの《メダルをもつ男の肖像》は示しているように思われる。おわりに〈メダルをもつ男の肖像》の若者は、メデイチ家の紋章である赤い王を紡彿とさせる赤い帽子をかぶり、当時最も高位の色であった黒っぽい服をまとっている。この黒色は、およそ三年後に画家が描くことになる《東方三博士の礼拝》のなかでは、メデイチ家の祖コジモと最高権力者ロレンツォ豪華王の着ている服の色である。またこの服の色はドメニコ会のサン・マルコ聖棠との深い関連性を暗示している。老コジモはサン・マルコ聖堂に広い土地を寄進し、その保護者にもなっている。さらに、メダルをもつ若者の左手の小指の上部が赤い指輪は、メデイチ家の紋章の色と一致し、メデイチ家と自身とを結びつけている象徴のように見える。そうして、以上考察してきたことから、この絵の制作は1470年頃で、ここに描かれているのはまさに画家の自画像である、という結論になる。自画像とは鏡に映った自分の肖像である。この若者のメダルをもつ両手が顔に比べて大きく描かれているのもそのためである。彼は何よりも美しく知性的で、目に見えない形であらわれている画家自身の個性が絵のなかで本質的な清澄さと深遠な農饒さをかもし、将来への希望を、またルネサンスのような不自由な時代のなかにあって殆ど他の画家がもつことのなかった近代の心情を、その瞳ははっきりと示している。まさにこの若者はボッティチェッリの真の肖像Veraeffigiesであると言えよう。そして、ボッティチェッリの多くの肖像画をさらに研究することによって、いっそう両家の個性を明確化させ、彼の肖像画芸術の本質へと近づくことができるだろう。-568 -

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