となり計画された。この完成後まもなくグイド・レーニらの画家たちが内部の装飾をおこなう〔図3〕。〈アウローラ》の他に、下方の2壁面にパウル・ブリルが「四季」を表わす風景画〔図4〕を、これらと同じ面にケルビーノ・アルベルティが「名声」の寓意を表わす女性たちとボルゲーゼの紋章をもつプットーたちを、他の2壁面にアントニオ・テンペスタがそれぞれ《名声の勝利》と《愛の勝利》〔図5〕を、さらには現在もギャラリーとして数々のタブローを所蔵する左右の部屋の天井にジョヴァンニ・バリオーネとドメニコ・パッシニャーノがいずれもトルクワート・タッソの『解放されたエルサレム』に取材した「リナルドとアルミーダ」の物語を、それぞれほぼ同時期に描いている。「アウローラのカジーノ」そしてそれをふくむ一連の宮殿の施設がある種の政治的な機能をもっていたことはやはり否めない。クイリナーレ宮殿が教皇の執務用の公的な場所であったのにたいして、これらはむしろボルゲーゼ家として賓客をもてなすための私的な役割をはたしていた。しかしこうした基本的な性格を認めたうえで、わたしたちの議論に重要な事実をさらに2つだけ挙げておきたい。第一に、この場所がボルゲーゼ家による格好のスペクタクルの舞台であったということ。たとえば、「アウローラのカジーノ」の正面の庭からつづく階段を下りたところにある空間は、当初より「水の劇場」〔図6〕と称されている(注5)。つまりこの場所そのものが広大な野外劇場の趣を呈していた。第二に、この施設がまさに理想の「カジーノ(=狩猟小屋)」として構想されていたということ。宮殿の敷地内にはさまざまな珍しい鳥や動物が飼われていたという。ボルゲーゼ家周辺のものたちは、これらの動物を利用して擬似的な狩りを楽しんだのだろう。そもそもグイド・レーニは、同じロスピリオージ・パッラヴィチーニ宮殿内の別の場所に、この狩猟趣味を視覚化したような作品を、さきの共同制作者ブリルらとともにつくりあげていた〔図7〕。「つる棚の間」と呼ばれるこの部屋では、つる棚と珍しい鳥そして下部にある狩猟主題をふくむ風景画をこのフランドル人らが、それらの鳥を捕まえようとするプットーたちをレーニが、それぞれ描いている(注6)。シピオーネ・ボルゲーゼは1616年、この夢の空間を未完成のままジョヴァンニ・アンジェロ・アルテンプスに売却する。その決定の理由は明らかでないが、いずれにしても1619年、今度はアルテンプスが早くもエンツィオ・ベンテイヴォーリオにそれを譲り渡しており、この管理はやはり容易ではなかったらしい。アルテンプスの所有した当時に書かれた同宮殿の記述には、つぎのような誇らしげな一節が読める。つまり、それが「あらゆる類の大規模な祝祭、そして動物の狩りなどを可能とする」と(注7)。-50 -
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