ン’'zarafshan(砂子散らし)のように他の言葉と結びついて複合語を構成するのがlayyanah(柔らかい),“ミヤーネ”miyanah(中間),“ゴハール'’ghubar(埃)等がア13)、著者のガーズィー・アフマドの記述には矛盾が見られる。び練りこむ。それから、きれいな水を少量器に入れ、器の周縁部を手で洗い、水溶液をきれいな布で濾す。その後、金が器の底に沈むまで器に蓋をしておく。そして、余分な水を器から拾てる。(注7)」以上がミール・アリー・ハラヴィーの記述である。一枚あたりの大きさは不明であるが、純金4.6グラムあたり100枚の金箔を作り出すという基準は他の同種の論文においても同じである。では、上記の手順で作られた金箔と金泥は、写本や料紙の装飾においてどのような使われ方をしていたか、文献の記述を紹介する。どの資料においても共通して見られる用語は“アフシャーン’'afshan(ペルシア語の動詞afshandan(ふりまくの意)の現在語根で、‘‘振りまかれた”の意)である。この言葉は、例えば“ザル・アフシャー常であるが、十六世紀までに書かれた文献にはこの技法を示す用語はほとんど“アフシャーン’'が単独で用いられているか、或いは“アフシャーンギャリー’'afshangari(振り撒くこと)というかたちで示されている。そのため、この言葉がはたして砂子散らしの意味で使われているのか、或いは金銀箔だけではなくそれ以外の色も含むパラ掛け(飛沫のようにかけること)の意で用いられているのか、その判別が非常に困難になっている。しかし、十六世紀末に書かれたガーズィー・アフマドの『技芸の花園』において、金箔の大きさをあらわしていると思われる言葉‘‘レイイエネ”フシャーンギャリーと共に記されており(注8)、それらは明らかに砂子散らしを意図していると考えられている(注9)。しかし、同じ箇所に、箔の大きさを示すと思われる言葉に続いて、“ハッルキャルデ”J:iallkardah(溶けた)という言葉がアフシヤーンギャリーと共に見られ(注10)、金泥も同様に散らされていたことが確認される。ちなみに『技芸の花園』には、アフシャーンの技法の考案者として十五世紀後半にヘラートのソルターン・ホセイン・バーイカラー(在位1470-1506年)の宮廷で活躍した書家ソルターン・アリー・マシュハデイーと同時代の文様絵両師モウラーナー・ギヤーソッデイーン・モハンマド・モザッヘブ・マシュハデイー(1535年歿)の名が挙げられている(注11)。しかし、この意見について、イヴ・ポーターが疑問を呈している(注12)ように、同書の別の箇所には十万世紀初頭の詩人で書家のスイーミー・ニーシャーブーリーがアフシャーンの達人であったことが伝えられていて(注一方、箔の大きさではなく、蒔き方を示すと思われる用語が1560/61年に著作された『サームの贈り物』に見られる。著者であるサーム・ミールザーは、サファヴィー-62 -
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