鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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⑦ ヘルマン・ムテジウスおよび日本とドイツの言説:1887-1891年の5つに分類される。つまり、1)Copy Book(ムテジウスの手になる書簡写し)、2)ムテジウス宛書簡、3)写真、4)建築図面、5)業務報告書や招待状、通行許1. Copy Book、その他の資料研究者:京都国立近代美術館主任研究官池田祐子これまでの研究経緯ヘルマン・ムテジウス(1861-1927)は、20懺紀前半のドイツにおける近代建築・デザイン改革運動に多大な貢献をなした人物である。しかし、彼が若き日、三年半(1887-1891年)にわたり日本に滞在したことは、これまでその事実が伝えられるだけで、詳細についてはほとんど研究されてこなかった(注1)。彼の日本滞在について初めて明確な資料を提供したのは、遺族からの遺稿類寄贈を受けて1990年にベルリンの工作連盟資料館で開催された「工作連盟資料館におけるヘルマン・ムテジウス」展とその展覧会図録である(注2)。本展以降ようやく彼の日本滞在時の遺稿類が公に閲覧可能となり、日本滞在について言及する論考、例えばジョン・マチウイカ氏の論文、が登場した(注3)。遺稿類に含まれる日本滞在関係の資料は、おおまかに以下可書などを含む資料類、である。筆者は以前、これら資料を調査しその成果を、論文「ヘルマン・ムテジウスと日本」として纏めた(注4)。また主要な関係資料は、2002年秋に京都国立近代美術館で開催された「クッションから都市計画まで一ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相1900-1927」展に出品された。しかし上記論文では、ムテジウスが日本滞在中に設計した建築物を中心に論を進めたため、彼の日本での個人的な生活や本国ドイツや在日ドイツ人との関わりについて膨らみのある情報を提供することができなかった。そこで、本稿ではそれを補うために、日本でのムテジウスの足跡と交流関係をさらに詳細に辿り、そこから日本とドイツという異なる芸術・文化間におけるムテジウスの位相を考えてみたい。日本滞在中のムテジウスの足跡を辿る上で最も重要な資料となるのは、ムテジウス自身の手になる書簡の写しを収めた「CopyBook」という一冊のノートである〔図1J。ノートには透過性のある極薄紙が用いられ、その下に手紙本紙を置き、透写用インクを用いて書けば、ノートに手紙の写し(Copy)が残る仕組みになっている。背表紙に「CopyBook」というラベルが貼られているところから、手紙その他の記録保管のために、当時一般に販売されていたものと考えられる。極薄紙のため、紙それ自体の-68 -

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