鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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植物風景図について、牧野富太郎はそのような作品が「松平、加藤子其他数氏」のところにあることを伝えている(注6)。さらに、武田久吉は、五百城が「松平子爵の注文に応じて、掛物三、四本の高山植物の大幅を描いていたこともある」(注7)と語っていたという。また現存するこのような軸装形式の作品を見ると、たしかに画面の記載(為書き)から、それらの作品が山草会の会員、あるいはその周辺の人物からの依頼により制作したものであることがわかる。したがって、「高山植物写生図」(松平家蔵)もまた、松平康民による依頼を受け、五百城が制作したものと考えられる。先にも触れたようにこれらが、単なる花の肖像画ではなく、画面全体としての構成が考えられているのも、記録や資料としてではな<鑑賞用絵画として制作されたためと考えられる。(5) 背景のある植物画の発想「高山植物写生図」(松平家蔵)の最大の特徴である周囲と背景を含めた描写について考えてみたい。西欧の植物画には、背景が描かれていないのがふつうである。今日われわれがボタニカルアートとして了解しているのも、この背景のない植物だけを描いた作品である。また東洋における植物画的な伝統を振り返るとすれば、花鳥画と本草学における図譜類が思い当たるが、これも背景は描かれないのが一般的である。それでは五百城は「高山植物写生図」(松平家蔵)を描くにあたり、どのようにして、植物を背景と共に描くという発想を得たのであろうか。西欧の植物画の歴史にも例外的にいくつか背景のあるものが現れる。その例として、ジョゼフ・ダルトン・フッカーの生態図〔図4〕(J.D.フッカー『シッキム・ヒマラヤのシャクナゲ』(注8)収載)がある。またロバート・ソーントンの『フローラの神殿』(注9)も名高いが、こちらは生態画ではなく、背景に花のイメージにふさわしい風景を任意に組み合わせている。しかし、画面中央に近景として植物の姿を大きく配し、中景は省いて、背後に雄大な遠景が望まれるという空間の構成〔図5〕は、五百城の写生図のそれと共通しているとも言える。これらの先行する例を五百城が見ていたという確証はないが、五百城と交流の深い牧野富太郎の蔵書にはこれらが含まれており、あるいは山草会のメンバーたちもこうした本を持っていたことが考えられるので、五百城が目にしていた可能性がないとは-84 -

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