⑨ 17世紀オランダにおける風景画と都市図の関係について—都市を素描する人研究者:元女子美術大学短期大学部専任助手大川智子今日我々が風景画とよんでいる一群の絵画は、17世紀のオランダにおいて確固たるジャンルとして成立したと考えられている。風景画に関する著作も伝わっているが(注1)、当時のオランダで風景画(landschap)という言葉が指していたものと、今日風景画とみなされている作品が同一のものかどうかについては疑問もだされており(注2)、風景画の成立過程や概念が明らかにされているとはいえない。一方、16-17世紀のオランダで盛んに描かれた都市図は、地図制作に由来し地誌的再現性を特徴とするため、従来の美術史では等閑視されがちであった(注3)。だが風景画と都市図の間には、両者が係わり合いを持ちながら成立し、発展していった証であると考えられる現象がある。15世紀末以降都市図の中にしばしば描き込まれている実景を前にしてスケッチをおこなう人物像、すなわち「戸外で素描する人」のモテイーフは、17世紀オランダの風景画に珍しいものではない。筆者はこれまで、[戸外で素描する人」の登場する作品をリスト化し、このモティーフが、いつ、どこで、何を、どのように、誰と描いているかについて調査してきた(注4)。その結果、そこには類型が認められることが明らかになった。このモティーフの担う意味や機能は、個々の作品ごとに特定化されなければならない。と同時に、定型表現としての共通の特質を指摘することも可能なのである。本稿は17世紀に描かれた「都市を素描する人」を中心にこの問題を考えることにより、風景画の成立とその後の展開における都市図の影響の一端を明らかにする試みである。「戸外で都市を素描する人」というモティーフが認められる最初期の作例のひとつに、遅くとも15世紀末までに制作されたと考えられている《フィレンツェの眺め》〔図1〕がある。画面の右下(ないし左下)に陣取った人が都市を俯廠しながら素描するという構図は、16世紀の都市図に踏襲されている。ブラウン=ホーヘンベルク『世界都市図帳』中には、都市を素描する人の登場する都市図が複数点認められる(注5)。広く流通した同書が定型の構図の形成にあたって果たした役割は、小さなものではなかった。また『抵界都市図帳』は未知の場所を人々に知らせることを目的のひとつとしていたため(注6)、都市を素描する人のモティーフにはルプソワールとしての構図上の効果とともに、その都市の実在を鑑賞者に納得させるという働きも期-90-
元のページ ../index.html#99