パウル・クレー作〈金色の縁のあるミニアチュール〉(1916年)成立をめぐる一考察―109―研 究 者:宮城県美術館 研究員 後 藤 文 子はじめに画家パウル・クレー(1879−1940)の水彩画《金色の縁のあるミニアチュール》(1916/7 紙、水彩・インク、厚紙に貼付、16.3×9cm宮城県美術館蔵)〔図1〕は、第一次世界大戦中の1916年から1918年の時期に画家が集中して制作した、「ミニアチュールMiniatüre」「ミニアチュール風のminiatürartig」の語を画題もしくは画家自身による自筆作品目録中の技法項目の記載に含む、あるいは生前の展覧会出品時に画家が変更を加えて使用した画題に含む計16作品のうちの一点であり、その作品番号から推して最初のミニアチュール作品である(注1)。概ね縦横10〜25cmほどの小さな紙面を抽象的な色面に分割し、まったく抽象的な構図であるか、あるいはその中に天体、魚、植物など具象的フォルムを見て取ることのできる画面構成を特徴とするそれら一連の作例〔図2・3〕にあって、この《金色の縁のあるミニアチュール》は、唯一、画面周囲に金色の縁どりが施され、一見判然とし難いアモルフで生き物のように奇妙なフォルムが密集した画面である点で、同じ「ミニアチュール」の中でも他の作例とは異なる印象を強く伴っている。1970年代以降の資料批判的クレー研究において、これらミニアチュール作品は、主に、第一次世界大戦という特殊な時代状況下の美術市場でクレーが成功を収めるに至った経緯に照らし、作品の主題とその公表とをめぐる画家の戦略的な意図を議論する論考において(注2)、また、20世紀美術における装飾という造形関心から、とりわけ挿絵という観点を踏まえ、そうした作品系列上で解釈されてきた(注3)。日本のクレー研究においては、これまでに、ミニアチュール作品と並行して同時期に制作される一連の文字絵との関連性が指摘されている(注4)。本研究の関心は、それら先行研究を踏まえ、なお十分な解釈を待つこの金色に縁どられた小さな画面に描かれた奇妙なイメージの成立と、クレーがほかならぬこの時期に集中してミニアチュールに取り組んでいることの背景を解明することにある。1 カール・ヴェルマン著『すべての時代と民族の美術史』の位置ここではクレーとミニアチュールとの可能な接点について、作品の成立から10数年を遡った地点において検討する。半年に及ぶ初めてのイタリア滞在から帰国した翌年の春、1903年3月5日付けでベ
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