―110―ルンからミュンヘンの婚約者リリー・シュトゥンプフ(1876−1946)に宛てた書簡の中で、クレーは「すばらしい美術史に没頭している(カール・ヴェルマン、書誌学研究所1900年)、それは第1巻〈古代〉で、とくに選りすぐりの挿図にね。この本はとても高価で大学のものだ。残念だけど間もなくまた返却しなければならない」(注5)と語り、一冊の美術史研究書に言及する。ドレスデン絵画館館長を務めた美術史家カール・ヴェルマン(1844−1933)の大著で、現連邦工科大学チューリヒ(ETH)所蔵本と考えられる『すべての時代と民族の美術史』(全3巻、ライプツィヒ/ウィーン、書誌学研究所刊行、1900−1911)のうち、第1巻「前キリスト教および非キリスト教民族の芸術」(1900)である(注6)。ヴェルマンのこの書は、美術史家アルフレド・ヴォルトマン(1841−1880)との共著としてこれ以前に世に出た『絵画の歴史』(全2巻、ライプツィヒ、1879−1882)(注7)と、M.ベルナートによる同書の改訂版『中世の絵画』(ライプツィヒ、1916)(注8)との中間的な時期に刊行された著作である。『絵画の歴史』(第1巻:古代から中世、第2巻:ルネサンス)は、その第2巻執筆半ばに期せずして世を去るまで実質的な刊行主幹であったヴォルトマンが第1巻序文で述べているように(注9)、概説的な絵画史でありながら、テキスタイル、エナメル、モザイク、ガラス絵など工芸における絵画的表現や技法、とりわけミニアチュール研究を重視し、いずれの時代についてもミニアチュールの章を独立して立てた構成をとる。そして1916年の改訂版『中世の絵画』は、さながらミニアチュール研究書と言い得るほどこれへの頁が割かれ、巻末に纏められた参考図版432点中、3分の1強の147点に及ぶミニアチュール図版を掲載し、ほかにも多くの写本関係図版を紹介している点で興味深い。クレーが1903年3月の書簡で言及した『すべての時代と民族の美術史第1巻』の内容は、これら二つの絵画研究書が主として扱うキリスト教圏に限定せず、原始未開民族、古代オリエント、ギリシャ、古代イタリア・ローマ帝国から北欧・西アジア、インド・東アジア、イスラム世界まで対象とし、文化史的な関心も反映している点では両書とやや性格を異にする反面、クレーも「選りすぐりの挿図」と語る通り、多色刷を含む豊富な図版〔図4〕(注10)によって世界に伝わる多様な装飾表現を随所で取り上げる傾向には、それらとの共通性を認めてよい。とりわけ、ことミニアチュールに関してエジプト、イタリア、アイルランド、ペルシャ、インドのそれに言及する本文中の記述は、クレーにおけるミニアチュールを考える上で以下の観点において看過できない。第一に、古代エジプト美術の平面的な絵画的表現の一つに「世界でもっとも古い
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