―3―ヴェネツィアの町のモティーフについてヴェネツィアの町のモティーフ〔図5〕に関してはいままで説明されていないのだが、私見ではアルフォンソ2世の称揚に関わっているように思う。版画が出版された年と同じ1562年の4月、アルフォンソ2世は大勢の家来を引き連れてヴェネツィアに滞在し、当地の文学者らに様々な贈り物をしたことが知られている(注13)。そしてこの版画を献呈する際に付されたアンドレア・ブラガディンによる手紙によれば、サヌートはヴェネツィアで手ずから版画を献呈する積りだったが、体調不良のために果たせなかったという(注14)。こうした背景を踏まえるならば、ここにヴェネツィアの町が描かれる必然性を納得できるのではないか。町の手前にいるミダス王の床屋に注目しよう。彼の口許から伸びる葦の先端は、ちょうどヴェネツィアの町に重なっている。この葦は神話ではミダス王の秘密、つまり分別がない故にロバの耳を持つことを暴露する役割を担っているが、この版画の文脈においては、ミダス王と違って良い耳を持つアルフォンソ2世の評判がヴェネツィアの町に流れております、という意味になるだろう。こうしてサヌートは、君主の称揚という原画にはなかった意味合いを本作に持たせているのである。ムーサたちのモティーフについて次にムーサたちのモティーフ〔図6〕についてだが、こちらはかなり複雑な問題を孕んでいるように思う。このモティーフに関してジェレミー・ウッドは、本来のマルシュアスの物語で審判を務めたのがムーサたちだったため、サヌートは自らの才知を示すためにこのモティーフを挿入したのだろうと述べている(注15)。ウッドの指摘はおそらく正しい。サヌートは別の複製版画でも、自らの古典の教養を誇示するような操作を行っているからだ。それはティツィアーノの油彩を複製した版画《タンタロス》〔図7〕である(注16)。エリザベス・マクグラスによれば、原画の作者ティツィアーノはオウィディウスの『転身物語』を参考に描いたのだが、サヌートは同じ詩人の『恋愛詩集』から主題に見合った一節を抜き出し、ラテン語の銘にしているのである(注17)。ただし、このウッドの説明を読んでも完全に納得できるわけではない。なぜコレッジョの複製版画にわざわざ“ラファエロの”モティーフを挿入したのかが明らかにされていないからだ。第一、もし物語のコンテクストに合わせるならば、反転させて引用すべきだったろう。なぜならムーサたちのうち6人は競技場面とは逆の左を向いて
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