―111―〈ミニアチュールMiniaturen〉や〈挿絵Illustrationen〉としてパピルス巻紙に描かれた挿絵」(注11)を挙げ、あるいは、そこで発祥した「書物をテキストと絵とで装飾する芸術die Kunst, Bücher mit Textbildern zu schmücken」の影響下に4世紀後半ローマ美術の現存する事例として「文字絵(ミニアチュール)Schriftenbilder(Miniaturen)」(注12)に言及する指摘に明確なように、ミニアチュールを「挿絵」、「テキストと絵を伴う書物」、「文字絵」の範疇に規定する基本的な理解である。第二に、たとえば「イスラム本来の絵画を代表するのはペルシャのミニアチュール絵画」(注13)とした上で、特に16世紀のイスラム・ミニアチュールの図像等に明瞭なペルシャ、インド、中国の相互的な影響関係を強調しているように、多様な文化圏の芸術的想像力が豊かに出会う表現メディアとしてミニアチュールを理解する態度である。このヴェルマンの著作はこれまでのクレー研究においてほとんど省みられてきてはいないものの、原始未開民族からオリエント、さらに日本、中国までも時空横断的に一つの視野に入れたヴェルマンの美術史記述におけるこうしたミニアチュール理解が、この読書から10年以上の時を経て初めてクレーがミニアチュールを制作していることも含め、彼のミニアチュールにとって一つの、しかし重要な契機たり得ることを推論するものである。2 ミニアチュールのイメージ・ネットワークこうした観点に立ち、その再考へと導かれるのが《金色の縁のあるミニアチュール》を含むミニアチュール作品が初めて公の場に発表された「第49回シュトゥルム展」(1917年2月4日−28日、シュトゥルム画廊、ベルリン)である。ヘアヴァルト・ヴァルデン(1878−1941)が主催し、画家ゲオルク・ムーヒェ(1895−1987)との二人展として開催された同展は、クレーにとっては1916年3月の第1回展に続く同画廊での二度目の展覧会であり、ここにクレーは成立時期の近接する1914年から1916年の水彩画およびペン画、総数34点を出品した(注14)。ミニアチュールを織り込むそれら34点の複雑で重層的なイメージのネットワークにまず注目したい(注15)。全出品作品の制作年ごとの分布は、1914年:4点(作品番号39、40、43、72[出品リスト順])、1915年:7点(同170、145、162、187、172、100、242[同])、1916年:23点(同20、22、23、24、25、26、38、37、52、41、15、18、8、19、7、51、69、74、54、62、72、75、79[同])であり、以下3つの作品群が含まれる(注16)。第一に、1914年4月にクレーが画家アウグスト・マッケ(1887−1914)、ルイ・モワイエ(1880−1962)とともに出かけた北アフリカ、チュニジア旅行に関連する水彩画
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