―113―得力がある(注19)。さらに件の《動物の運命》をめぐっては、完成した大作に他ならぬこの画題を提案したクレーが、油彩画に応答して素描《円(より自由な、そしてより結び合った)》(1914/89)〔図9〕を描き、作品交換としてこれをマルクに贈った経緯が知られており、したがって《動物の運命》に応答するマルク自身とクレーによる作品がまずはここに浮かび上がってくる(注20)。1915年187番の作品番号をもつ《ひどく攻め立てられる都市ピンツの光景》の成立時期は、同年10月1日付けでクレーがベルンの父ハンスと家族に宛てた書簡中に言及される油彩画《抽象的―構築的な小さな油彩画(黄色と青の球のある)》の作品番号(1915年163番)などから推測して(注21)、およそこれに前後する時期と予測されるが、それは、マルクの『戦場のスケッチブック』着手後であり、また一貫して戦争に精神的なるものとヨーロッパの浄化を希求した彼と、戦争との冷静な距離をとるクレーとの間で緊迫した書簡が交わされ、さらに休暇中のマルクがクレーを訪問する同年7月と11月の時期に重なっている。つまり、クレーの黙示録的な黒い水彩画《ひどく攻め立てられる都市ピンツの光景》は、《動物の運命》、《円(より自由な、そしてより結び合った)》、《戦闘》といった一連の作品の延長上にあって、大戦期の両画家の葛藤を反映する一点に相違なく、マルクの戦死から間もなく一年という時期のシュトゥルム展でその記憶を喚起しているのである。ミニアチュールとの関連からこの点に着目するのは、クレーが明らかに意図的に、シュトゥルム展において、他ならぬそうした作品としての《ひどく攻め立てられる…》を、いわゆる彼の表現主義的な時代たる第一次世界大戦期にとってきわめて重要な、たとえば天意を象徴する船、此岸(生)と彼岸(死)の接点たる港、不吉な運命を象徴する三角形を組み合わせた六角の星、グノーシス的意味合いにおいては魂を運ぶ天上の船を象徴する月、あるいはキリストの象徴でもある魚といったモチーフを扱う《肉食魚のいる》(1916/38)、《月とその動物たち》(1916/41)〔図10〕、《船B.A.のある(港の絵)》(1916/51)、《船−星の祭り》(1916/62)、《青い屋根−橙の月》(1916/85)、《邪悪な家々の上の天体》(1916/79)〔図11〕等と並置している事実を重視するためである。マルクとの葛藤、そしてその死の直後には自らも兵役についたクレー自身にとっての戦争の惨劇は、それらの作品を介し、むしろ普遍的な宇宙の次元、つまり神の創造の物語へと展開する。「高く明るく月は昇り」の書き出しで始まる漢詩独訳を引用する文字絵〔図12〕や宇宙的な庭とも解されるチュニジア水彩画〔図13〕もそこにおいて例外ではない。キリスト教図像としての魚や神の眼を想起させるフォルムの描かれる《金色の縁のあるミニアチュール》には、マルクの存在と結
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