鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―114―びついた、クレーの表現主義的な図像の系譜と関心における、ヴェルマン的な意味合いとはまた別の位相も内在していると見るべきである。4 表現主義の地平におけるミニアチュール:精神病者の芸術および児童画「真に魂を筆記する者、魂を解き放つ者、神を魅了する者―彼こそここにいる。パウル・クレー!彼はドイツ表現主義的な魂の群れのもっとも純粋な昇華」である(注22)。美術史家エッカルト・フォン・ジドー(1885−1942)は1920年の著書『ドイツ表現主義の文化と絵画』において、ドイツ表現主義を生の救済を希求する内なるものの表出、つまり絶対的なものとしての主観性の優位であるとする立場を展開するなかでこう記述し、「忠実な模写者として、自らの魂の内なる状態を直感しイメージとして再現」(注23)するクレー芸術の特性を「アラベスク的芸術」、すなわち「動物的でも植物的でもなく、むしろ生の力が垣間見える有機的ではないフォルム」(注24)の造形に認めた。件のシュトゥルム展に出品されたミニアチュールのうち、《金色の縁のあるミニアチュール》のほかにも《眼のコンポジション、ミニアチュール風の》(1916/8)〔図14〕と《色彩の世界を前にする太陽、複雑なコンポジション(ミニアチュール)》(1916/19)〔図15〕には、《金色の…》同様の一見判然とし難い奇妙なフォルムがみとめられるのだが、今、その背後に「魂を筆記する者」=表現主義者クレーが「動物的でも植物的でもなく、むしろ生の力が垣間見える有機的ではないフォルム」に向けた眼差しを捉えることは強ち的外れではあるまい。なぜなら、ミニアチュールに登場するこうしたフォルムが、興味深いことに、精神病者の芸術との関連性の指摘される第一次世界大戦期におけるクレー素描、たとえば《頭足(創造の紙屑籠)》(1915/82)〔図16〕、《幽霊現象》(1915/110)〔図17〕、《死の跳躍》(1915/113)〔図18〕に見られるモチーフに通じるものだからである(注25)。さらに、同じく第49回シュトゥルム展に出品され、既述の三つの作品群とも表現主義的な主題を扱う個別作品ともやや異質な一点と言うべき《小さな集まり》(1916/69)〔図19〕が、クレーにおける児童画/子供性への関心を指摘される作品であることも(注26)、精神病者の芸術との関連性を含め、ミニアチュールの成立背景に、クレーにおける表現主義にとってのプリミティヴという問題が存在することを示唆している。こうした点を念頭に置いてジドーの指摘を検証するとともに、あらためてベルン大学博士論文『抽象と感情移入』(1908)の4年後には、同書の刊行と同じミュンヘンのピーパー社から『古ドイツの書物挿絵』(1912)を出版しているヴィルヘルム・ヴォリンガー(1881−1965)のクレーへの影響、また第一次世界大戦期に『ドイツ中世の表現主義的ミニアチュー

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