鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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人形芸術運動研究―120―(注1)。また、昭和以降の人形をあつかった総合的な展覧会では、状況によって関心研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  沓 沢 耕 介調査研究の内容本調査研究の目的は、昭和初期にみられたいわゆる「人形芸術運動」のなかで、制作の主体となった当時の人形作家たちの意識や実際の造形がどのように変化したのか、同時代の文献や写真資料を集積し、分析することによって明らかにしようとするものであった。この運動についての言及したものとしてはまず、運動の指導者として当事者のひとりであった山田徳兵衛が、日本人形史に関する通史的な著作の中で触れたものがあるの多寡はあるものの、必ずといってよいほど回顧の対象となっている(注2)。近年では是澤博昭氏の一連の研究(注3)によって、運動の全体像が明らかにされつつある。特に、本研究計画の立案後に発表された最新の論考(注4)は、運動の経過を追うことに終始していた従来の言説とは異なり、具体的な作品の造形に踏み込んで考察を行った点で画期的なものといえよう。なお、是澤氏によるこの成果が、本研究計画の着地点として筆者が想定していたものと、論点の一部において重複することを否定しない。あらたに優れた先行研究に遭遇したために、本研究はその初手からやや迷走した観がある。しかも、資料のデータベース化(注5)には想定したよりもかなり時間がかかり、かつ当たるべき資料は多く、有効な分析結果を得るほどには達成せられなかったことは遺憾である。今回は、調査の過程で明らかとなった、人形芸術運動当時の造形に関わる諸問題を整理し、その上で、美術にとって人形とは何かという問題にあらためて若干の考察を加え、報告としたい。同時代資料の収集・蓄積・分析は今後も継続し、他日の成果を期待する。人形芸術運動の概要人形を造形芸術の一部門として社会的に認めさせようとするこの動きは、およそ昭和2年頃から始まったとされている。この年に行われた第8回帝展に第四部美術工芸が開設され、門戸が拡げられたことは、人形参入の可能性を感じさせるに十分であった。また、同じ年、日米親善の印としてアメリカから贈られたいわゆる「青い眼の人

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