―4―(ブロンズィーノ)の原画以外に、否応なくマルカントニオの版画のイメージを通じおり、右を向いているのは2人のみだからである。モティーフを反転させていないことから、サヌートはラファエロの原画との関連を重視していることが分かる。引用の方法からも、サヌートがモティーフの引用元の作品の性格を留めることに意を配していたことが推測される。というのも、本稿で初めて指摘されることだが、彼は本作を制作する際に、原画の油彩、ラファエロのモティーフ(を写したマルカントニオの版画)、左画面のティツィアーノのモティーフを、原寸大で引用しているからである(ただしティツィアーノのモティーフは反転している)。おそらく彼は透写紙のようなものでモティーフを原作から写し取り、それを銅版に転写して彫ったのだろう。複製を制作する際に原画を原寸大で写すことは版画に限らずしばしば行われたことであったが、いくつもの原寸大の引用を組み合わせてひとつの複製版画を制作した事例はほかにないように思う(注18)。たしかに、ミケランジェロやラファエロといった大画家のモティーフは同時代の画家にとって熱心な研究の対象であったが、この版画で興味深いのは、引用されたモティーフが引用元の作品を引きずっている点にある。この版画を見る人は、コレッジョたラファエロの壁画を想起することになるのだ。この版画は引用自体をひとつの表現のテーマとしていると言って良いだろう。当時の宮廷美術との関係からモティーフの引用の問題を説明したジョン・シアマンによれば、モティーフの引用が持つこうした換喩としての機能は、同時代の宮廷美術の作品に広く見られる現象であった(注19)。彼によれば、モティーフの引用は、引用元を特定されることを前提とするものとしないものとに分かれる。そして引用元を特定されることを見越している場合、画家は引用元を連想できる受け取り手(つまり宮廷人)の知識を称揚し、さらに名作と比較されることで自らの技量が一流の美術家に比肩しうることを示したという。サヌートの版画におけるラファエロのモティーフの引用が、シアマンの言う、引用元を特定されることを前提としたものであることは間違いない。そしてアルフォンソ2世は1560年にヴァティカンを訪問しているので、この版画を目にすれば確かにラファエロの壁画を想像したはずであった。このモティーフを引用したとき、サヌートがラファエロや古典文学に関するアルフォンソ2世の知識を称揚しようとしたのは確かであろう。ただしおそらくそれだけではない。シアマンの議論を思い出せば、引用されたモティーフはほかのモティーフと比較されることを期待されたのであった。それゆえサヌートは、原画にあるモティーフと比較されることも意図して、ラファエロの
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