―125―胸の内にある不安や疑問を互いにぶつけあった。いろいろな問題点が提出されたなか、作品の「永続性」が話題になったことは注目すべきである。人形のうちのあるものは、工芸としての永続性がないと見なされていたのである。その具体的な指示内容はいまひとつはっきりしないが、髪や衣裳、あるいは関節などの可動性、もしくは、時間経過に対する材料の脆弱性がそれにあたるのではないかと考えている。日本における人形の発生当初の姿は、人間にふりかかる災厄をうつし、身代わりとするための「形代」であるという。そのことは現代までのこる流し雛の習俗をみても、容易に了解されるだろう。雛人形、武者人形などいわゆる節句人形が、後に高級化して経年的に用いられるようになっても、やはり飾り付けられるのは特定の一時期だけで、あとは姿を隠す一過性の要素を保存している。人形の本質人形芸術運動期に露呈された諸問題は、人形という一種独特の芸術ジャンルに対する私たちのとまどいをも代弁しているようである。現在に至るまで私たちは、人形とは何か、という問題について、万人から首肯されるような答えをはっきりとは見いだせないままでいるのである。語義からいえば、人の形を模した造形物ならば、すべて人形と呼びうるはずである。筆者の経験上、現在でも、一般には仏像であろうと、ギリシア彫刻であろうと、「人形」という言葉で指示することにためらいを覚えない人は少なからずいる。ためらいを感じるのは、「美術」についてある程度の知識を持った人だけである。どうしてそのような事態が起こったのであろうか。その答えをもっとも端的に言うならば、明治以降「美術」概念が導入されたのに伴って、人の形を模した造形物のある部分が「彫刻」と名を変えて掬い出され、残されたものが「人形」と呼ばれるようになったから、であろう。その時点から、「人形」には、正統の美術の一分野であるところの「彫刻」に似て非なるもの、というネガティブな意味がかぶせられてしまったのである。つまり、両者は表裏一体の関係にある。ただし、もちろん、「人形」のモチーフは基本的には人間(動物を含むという解釈もある。)であるのに対し、「彫刻」にはそれ以外の多岐にわたるモチーフがある。それは、「彫刻」が制作技法をもとにした名称である以上当然の事であり、それ以上に、芸術に保証された自由を象徴している。この文脈においては、話が煩雑になることをおそれて、とりあえず人体彫刻の意味で「彫刻」の語を使わせてもらいたい。また、理屈からいって「彫塑」の語が正確であ
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