注山田徳兵衛『人形芸術』昭和28年 創元社、山田徳兵衛『人形百話』昭和38年 未来社など。 「人形工芸―昭和期を中心として―」展(昭和61年2月−3月、東京国立近代美術館工芸館)をはじめとして、「人形芸術の世界展 夢二から現代へ」(平成7年5月、なんば高島屋ほか)/「ひとがた・カラクリ・ロボット」展(平成8年2月−3月、O美術館)/「今日の人形芸術想念の造形」展(平成15年3月−5月、東京国立近代美術館工芸館ほか)など。■「人形とナショナリズム(一)人形芸術の誕生」(日本人形玩具学会誌「かたち・あそび」第3■是澤博昭「平田郷陽と人形芸術運動―人形作家誕生の背景―」(日本人形玩具学会誌「かた■現在は同時代の雑誌文献および展覧会あるいは名品図録掲載作品(近世以前のものが主となる)■赤塚自得は鑑査前の昭和11年2月1日に没。■所河春陽「私の観た帝展人形」『人形人』2−4 昭和11年4月、建設社■有坂与太郎「椎名静枝の「歌集」」廣澤博夫「私の人形陣」『人形人』2−12昭和11年12月堀柳女『人形に心あり』昭和31年 文藝春秋新社 109頁鹿児島寿蔵「作家の態度」『人形人』2−2 昭和11年2月実業家。―127―本稿で示そうとする人形の本質としてのエフェメラリティとは、これまでに述べてきたモニュメンタリティのネガ概念である。それは、はかなく、脆く、つねに更新され、歴史を感じさせない。おわりに人形芸術運動では、人形に「永続性」や「大きさ」を付与することが重要な課題となった。こうしたいわゆる芸術人形は、モニュメンタリティを志向することで彫刻に近づこうとする一方、エフェメラリティという本質を見失ったものといえる。一方で、毎年大量に制作される彫刻群も、その多くは公募展に並べられた後に日の目を見ることはほとんどない。個々の作品の造形的な問題は別にして、こうした状況から、まさに一回性、仮設性という言葉が想像されてしまうのは皮肉というべきである。展覧会を「催し物」展示物を「かざり」ととらえかねない、一般の美術受容者の心性に、節句人形に対するような、伝統的なエフェメラリティへの志向があることもまた事実である。また、インスタレーションやその他の一過性の形式、あるいは美術展のイベント化が流行していることも、そうした志向に対する美術家の側からの回答といえるかもしれない。号 平成5年)ち・あそび」第14号 平成15年9月)。のデータベース化を継続中である。
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