―5―モティーフをここに引用したと考えられる。ラファエロVSミケランジェロいま一度版画に目を戻そう。そこには確かに、ラファエロのモティーフと比較されることを待っているモティーフがある。それは右の画面に描かれたアポロだ。ラファエロの元の図像を思い返すならば、ムーサたちの中心にはリラ・ダ・ブラッチョ(ライモンディの版画では竪琴)を弾くアポロがいるはずなのだが、サヌートの版画ではそれが省かれている。なぜ省かれているのかと言えば、右の画面ですでに登場しているからである。ここでも彼はリラ・ダ・ブラッチョを弾く姿で表わされ、さらに彼の後ろに付け加えられた一本の木によって、ラファエロのモティーフであるムーサたちと関連づけられている(ムーサらの後ろにも木が生えている)。ラファエロのモティーフの本来の姿を知っていれば、版画に描かれたアポロは、あたかもムーサたちの間から抜け出てきたかのような印象を受けるだろう。もちろんウッドが言うように、ムーサたちは音楽競技の場面と意味的に深い関係があったのだが、このアポロのモティーフは、他ならぬ“ラファエロのモティーフである”ムーサたちと比較されることを欲していると思われる。実は、このアポロはミケランジェロの作品からの引用なのである。システィーナ礼拝堂天井壁画(1512年完成)のうち、ペルシャの巫女の右上に描かれた青年裸体像〔図8〕を反転させたものであることが知られている(注20)。このモティーフは版画が制作された頃すでにヴェネツィアにおいても知られていた。ティツィアーノが1559年に完成させた《ディアナとカリスト》の前景にもこのモティーフが引用されていること、そしてそれが、引用元を特定されることを前提としたものであることが指摘されている(注21)。このことから、サヌートがコレッジョ(ブロンズィーノ)の原画に描かれたアポロを見て、すぐさまミケランジェロのモティーフを連想したことは間違いない。そしてアルフォンソ2世をはじめとするフェラーラ宮廷の人々が、やはりこのモティーフからミケランジェロを連想するであろうことは、サヌートも見越していたことであろう。サヌートはラファエロから引用したモティーフを挿入することによって、それをミケランジェロのモティーフであるアポロと対照させたかったと考えられよう。版画の中にあってふたつのモティーフは、ミケランジェロとラファエロという2人の大画家の芸術表現そのものを喚起させる、記号となっているのである。
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