鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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パウル・クレーと舞踊―140―――第一次世界大戦勃発までに描かれた踊る人物線描画を中心に――研 究 者:成城大学大学院 文学研究科 博士課程後期  野 田 由美意はじめにパウル・クレーは、第一次世界大戦後、自らの造形理論をまとめ、絵画の抽象化を進める過程で、積極的に音楽理論を導入した。さらに、1920年に発表されたクレーの線描論と、ルドルフ・フォン・ラバンの「運動譜」等における「書記」の問題を照らし合わせる研究や、1920年代のオスカー・シュレンマーや表現主義舞踊家たちとの交流の研究から、クレーがこの時期以降、芸術創造のために舞踊に取り組んだ過程が明らかにされている(注1)。しかしながら、画家としての出発点からすでに、クレーが舞踊に関心を持ち、継続的に踊る人物像を線描画に表していった諸背景は、これまで詳しく検討されていない。そこで本稿では、クレーの造形の出発点に溯り、その線描画の発展過程と舞踊の関わりを、次の点を中心に追究する。クレーの舞踊に関する日記・書簡の記述は、1901−1902年のイタリア旅行に始まる。その記述の背景には、身体運動、風刺画、アジア・オリエントへの関心が窺える。そこで本稿ではまず、当時クレーが取り組んでいた「風刺画」との関連から、1907年と1909年の踊る人物像を、イタリア旅行で感銘を受けたロダンの線描画をはじめ、グルブランソン、シュトゥックの作品と照らし合わせる。それによって、クレーが自律的な線を発展させた過程を検討する。次に、文学、舞台芸術、造形芸術において追究されたアジア・オリエントと舞踊の結びつきが、クレーの線描画に作用した経緯を探る。また、1911−1912年における様々な前衛芸術運動との遭遇から、クレーが単純かつ動的な線描による人物像の創造に至ったことを明らかにする。最終的に、これらの人物線描画で追究された線の運動は、第一次大戦後の、法則性を持ちつつも多様な運動の展開を提示する作品の創造につながっていったことを導き出す。この一連の考察から、クレーの線描芸術において舞踊の果たした役割の重要性が改めて確認されることになる。1.「風刺画」との取り組み19世紀後半以降、造形芸術において身体運動の流れを捉えることへの関心は、第一にドガによる踊り子を題材とした一連の作品やロダン、トゥールーズ=ロートレック等の作品に窺える。また、マイブリッジやマレーのクロノフォトグラフィー、ニーチ

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