鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―6―同時代の批評についてシアマンの研究にあるように、当時において鑑賞する側の評価の基準は、かなりの程度ほかの作品との比較にあった。そして比較の対象として最も頻繁に指針とされたのがミケランジェロであり、さらにはラファエロだったのである(注22)。ミケランジェロが当時の画家たちにとって目指すべき目標であったことは言うまでもない。ミケランジェロを目標としたからこそ、本作の原画を描いたブロンズィーノもシスティーナ礼拝堂のモティーフを引用したのだろう。これは明らかに引用元を特定されることを見越した引用であり、絶対美としてのミケランジェロのモティーフと比較させることで、自らの技倆を誇示したと考えられる。ラファエロの名声もまた、ミケランジェロを凌ぐほどであった。ヴァザーリは『美術家列伝』の「セバスティアーノ・デル・ピオンボ伝」において、すでにラファエロの生前から彼はミケランジェロと比較され、より高い評価を得ていたことを伝えている(注23)。そして本稿にとって興味深いことは、本作が制作された16世紀半ば頃、ミケランジェロに対してむしろラファエロの美質を強調するような論調が美術批評の中に見られるようになったということである。それを最も端的に示しているのは、ヴェネツィアの著述家ロドヴィコ・ドルチェが1557年に出版した『アレティーノ、または絵画問答(Dialogo della pittura, intitolatol’Aretino)』である(注24)。これはミケランジェロの素描を金科玉条とするトスカーナ=ローマ派の芸術理論に対抗するために書かれた本であるが、実際に本文でミケランジェロと較べられているのはラファエロなのだ。つまりドルチェが絵画を構成する3要素と考える、インヴェンツィオーネ、ディゼーニョ(素描)、コロリート(彩色)のうち、ミケランジェロはディゼーニョの能力しか持っていないのに対して、ラファエロはそのすべてを持ち、特にインヴェンツィオーネにおいてはミケランジェロを凌駕していると言って、ディゼーニョを偏重するトスカーナ=ローマ派に対して疑問を呈しているのである。当のトスカーナ=ローマ派の領袖であったヴァザーリの態度も、この時期、ミケランジェロの偏重からラファエロの評価へと変化している。スヴェトラーナ・アルパースによれば、『美術家列伝』第1版(1550年)でヴァザーリは、ディゼーニョの完成=芸術の到達点という考え方からミケランジェロを到達点と見ていたが、第2版(1568年)ではむしろラファエロのインヴェンツィオーネを強調しているという(注25)。アルパースによればこの態度の変化は、ミケランジェロによってディゼーニョが完成されたとしても、インヴェンツィオーネを追求することで新たな芸術を生み出

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