―144―上がる半裸の若い二人の女性が画面中心の軸に向かって対称的に配置されている。その軸の周りを旋回しながら左の女性は観者に誘惑的に笑いかけ、右の女性は歯を見せて笑っている。この二人の不気味な表情から、観者はその舞踊に取り込まれるような抗しがたい魔力を感じることになる(注26)。それと同時に、二人の女性は奥行きのない空間に押し込められているため、装飾的で静的な印象をも与える。一方、クレーの作品では白地に黒の線描で二人の女性が描かれている。また《裸婦、踊るヴィーナス》同様、それぞれの人物が切り取られた上で台紙に貼り付けられ、左の女性がシュトゥックの作品と違い左後方へと身体を向けていることから、むしろ同一人物の踊りの経過が示されているように見える。1909−1910年にクレーは印象派やファン・ゴッホ等の絵画との取り組みを経て、光を線描に表すこと、つまり、光をエネルギーの展開として表現するため白い下地の上に黒い線描で光のエネルギーを描き出す試みをしている(注27)。この作品もそうした実験成果の一つであり、伝統的な陰影の施されない透き通る身体が細かな線の重なりから浮かび上がっている。そこでは、単なる姿勢の描写にとどまらず、線自体が自律的な運動を展開し、それによって舞踊家の軽やかに踊る身体の動きが表されているのである。上述のハイルブートを介して「インヴェンツィオーネン」を『芸術と芸術家』に載せてもらうことに失敗すると、1906年に居住したミュンヘンで何の人脈も持たなかったクレーは、シュトゥックに頼み込んでその年のミュンヘン分離派展への出品にこぎ着けた(注28)。しかし、1909年には僅かながらも人脈が出来、クレーの芸術はドイツのみならず特にフランスからの芸術を吸収してさらに新しい方向に向かおうとしていたため、この時のクレーの日記や書簡にシュトゥックはもはや登場しない。ただし、翌年のスイスでの初個展で出品した56点中に《女性舞踊家たち》を入れていることから、クレーは自らの自立の意味も込めたシュトゥックへのオマージュとしてこの作品を描き、それが近いうちに展示されることを望み、翌年実現に至ったのではないかと推測される(注29)。事物の忠実な模写から解放された、自由で自律的な線を目指したユーゲントシュティールの線描画は、まさにそれと連動するかのように、新しい身体運動を追究した舞踊を取り込んだ。クレーの初期線描画は、ロダンやユーゲントシュティールの線描画への共感から出発し、そこで問題となっていた新しい舞踊に着目することにより、独自の線描の可能性を広げていったのである。
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