―7―しうるとヴァザーリが考えるようになったことによる。以上に挙げたふたつの例からは、この版画が制作された当時(ヴァザーリの第2版はまだ出版されていないが)、ミケランジェロとラファエロ、特に前者のディゼーニョと後者のインヴェンツィオーネは双璧をなす美術規範として対比されるものだったこと、さらにはラファエロのインヴェンツィオーネの比重が高まりつつあったことが明らかとなる。サヌートはこうした批評の動向を熟知していたからこそ、ミケランジェロ対ラファエロという批評の構図を想起させることを目的として画中にラファエロのモティーフを導入したのではないだろうか。特にサヌートとドルチェは同郷人であり、『絵画問答』の出版と本作の制作の時期が近い(5年)ことを勘案すれば、サヌートがドルチェの著作を通じて「ミケランジェロ対ラファエロ」という批評の構図を学んだと考えるのは自然だろう。本作に見られるミケランジェロとラファエロのモティーフは、「ミケランジェロは最も激烈で複雑に凝った裸体の形態を描いたのに対し、ラファエロは最も魅力的で優雅な形態を描いた」(注26)というドルチェの言葉を図示しているかのようだ。ミケランジェロ風だったコレッジョ(ブロンズィーノ)の原画には、批評の趨勢を反映して、いまやラファエロという新たな美学上の基準が導入されたのである。複製版画とエクフラシス以上の議論から、この版画における原画の改変には、当時の批評の構図が大きく影響していることが明らかとなった。特筆すべきことは、本作における原画の改変は、批評という、原画の作者がまるで意図しない方向へと見る者の注意を誘っていることである。複製版画と批評という取り合わせを可能とした背景を説明する上で、キャロライン・カルピンスキやリサ・ポンによる、複製版画と当時の文芸理論の関係をテーマとした研究は有用である。彼女らは、16世紀イタリア文学における翻訳のカテゴリー分けと複製版画との間に平行関係を見いだしているのである(注27)。つまりどちらの行為も、原作を忠実に複製するものから、比較的自由に解釈するものまで幅があり、こうした原作に対する姿勢を、版画家は翻訳の理論に学んだというのだ。複製版画家の制作態度に文芸理論からの反映を認められるとするなら、本作における原画の改変は、修辞学の一形式であるエクフラシスの営みに喩えることが可能となるのではないだろうか。エクフラシスと複製版画は、原作を記述して伝える点におい
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