『愛に囚われし心の書』の挿絵について―155―――著者像としての夢の場面を中心に――研 究 者:東京芸術大学 非常勤講師 田 中 久美子1.はじめに現在、ウィーンのオーストリア国立図書館に所蔵されている『愛に囚われし心の書』(Livre du Cueur d’Amours Espris)(注1)の挿絵は、15世紀フランス絵画を代表する作品であるばかりでなく、西欧の写本芸術に置いて最後の頂点に位置する。この『愛に囚われし心の書』は、フランスにおける芸術活動の中心のひとつであったアンジュー公ルネ(Rene d’Anjou)の宮廷で生み出されたものである(注2)。ルネ王は、芸術の擁護者としても知られており、彼の宮廷には、フランスは言うにおよばず、イタリア、ドイツ、フランドルからも多くの芸術家たちが召還されたばかりか、自らも数々の散文、詩の著作を行っている。『愛に囚われし心の書』は、こうしたルネ王の著作のひとつで、1457年に執筆され、ブルボン二世に献呈されたものである(注3)。残念ながら、献呈本は現存していないが、ウィーンに所蔵されている『愛に囚われし心の書』は、この原本をもとに1460年代に制作されたものと考えられている(注4)。挿絵画家の名前については伝わっておらず、ルネ王自身の著作を中心に数種の写本挿絵を制作したことから、通称「ルネ王の画家」と呼ばれたり、代表作の『愛に囚われし心の書』に因んで、「愛に囚われし心の書の画家」とも呼ばれていたが、現在では、バーテルミー・デックに帰属させる説が有力である(注5)。『愛に囚われし心の書』は、中世の世俗文学にしばしば用いられた寓意物語の形式をとっており、抽象的な概念が人間の姿を借りて物語を繰り広げる。ここでは「愛」に取り憑かれた「心」が「欲望」を従者に連れて、「恥」と「恐怖」、「拒絶」によって囚われの身となった意中の女ドゥース・メルシを救出するために波瀾万丈の旅に出るという筋立てとなっている。寓意物語と言えば、まず思い出されるのは『薔薇物語』であろう。『薔薇物語』は、ギヨーム・ド・ロリスによって1235年ころに執筆され、その死によって中断されたものをジャン・ド・マンが1270年代に引き継ぎ完成させたものである。『薔薇物語』は16世紀にいたるまで知識人必読の書とされ、その影響力は絶大なものであった。『愛に囚われし心の書』も『薔薇物語』から多くの霊感を受けていると思われる。本稿では、『愛に囚われし心の書』の冒頭に挿入された「王の夢」の場面を取り上げ、『薔薇物語』からどのような影響を受けているのかを具体的に考察し、『愛に囚われし心の書』の挿絵を寓意物語の系譜というより広いパースペ
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