鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―156―「欲望」に手渡そうとしている。「愛」が手にしたルネ王の赤い心臓が、騎士「心」に「欲望」が投げかける黒く長い影は、床をつたうように「愛」へと伸び、「愛」の影は、クティブから眺めようとするものである。2.心を抜き取られる「王の夢」(fol.2)の挿絵について〔図1〕『愛に囚われし心の書』は、半ば眠りに入り、夢とうつつが交錯するルネ王の独白で始まる。夜も更け/疲れ、悩み/深く物思いに沈み、私は寝床に横たわる。/(中略)夢かうつつか/「愛」が身体から私の心臓を抜き取り/「欲望」に手渡す(注6)。「私」と一人称で語る登場人物がルネ王である。冒頭におかれた挿絵はこのルネ王の言葉を形象化したものである〔図1〕。舞台は、ルネ王の寝室である。ナイトキャップをつけたルネ王は、左手で頬を支え、目を閉じて寝台に横たわっている。その脇には、青い衣服を纏い箙を負うた有翼の「愛」が立ち、王の胸から抜き取ったハート型の心臓を手に振り返り、その名にふさわしく燃える炎を白い衣の裾に縫いつけた姿を変え、「欲望」を小姓に従えて、意中の女ドゥース・メルシを求めてこれから旅に出立するのである。この場面を何よりも印象的にしているのは、三人の登場人物を暗闇に浮かび上がらせる巧みな明暗表現であろう。画面の右下隅に、王の寝台と並べて置かれているもうひとつの空の寝台の手前で灯された蝋燭の光が、この闇を照らし出す光源である。蝋燭の光は寝室の床の編敷とペルシャ絨毯の細かい模様を照らし出し、背中をこちらに向けて立つ「欲望」の姿を暗闇に浮かびあがらせる。光は、光源から離れるにつれて次第に力を弱めつつ、ルネ王の心臓を持つ「愛」の手と、傾げ気味に「欲望」を見つめるその顔を下から照らし出し、最後に、まどろむルネ王の頭部をさらに弱い光で下から浮かび上がらせる。この蝋燭の光は、同時に影をも作り出す。強い光を受けたその足下から寝台の側面をつたってルネ王へと向かい、光に浮かび上がった三人の登場人物を結びつける。光と影をみごとに用いたこの場面は、西欧絵画において、人工照明を用いて室内の闇を照らし出すという難解な表現に功を奏したもっとも早い例といえよう。3.パリ国立図書館所蔵の二点の『愛に囚われし心の書』の冒頭挿絵(Ms. fr. 24399, Ms. fr. 1509)〔図2、4〕ところで、挿絵の施された『愛に囚われし心の書』は、先述のウィーン国立図書館

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