―158―トの上に長く力無く伸ばされており、この場面に表されているのは、ひたすら眠る人物だけである。現存する三点の挿絵入りの『愛に囚われし心の書』の冒頭挿絵は、いずれもテクストの冒頭で語られる「王の夢」を表している。にもかかわらず、図像的な観点からはかなり異なることは先にみたとおりである。同じ15世紀後半に制作されていながら、なぜこれほど異なる図像が同じテーマを飾ることになったのか。ましてや、ウィーン版とパリのfr. 24399については、他の挿絵には明らかに相互関係が見て取れるにもかかわらず、この図像についてはタイプを異にする。それぞれの図像の源泉はどこかほかに求められるのだろうか。そうだとするならば、まず想起されるのは、中世を通じて広く読まれ、同じように夢で始まる『薔薇物語』である。4.『薔薇物語』の扉絵との関係『薔薇物語』の包括的な研究は、1910年に刊行されたエルンスト・ラングロワによる、13世紀後半から16世紀初期にわたる200点以上にもおよぶ『薔薇物語』の研究に始まる(注10)。美術史的には、ラングロワの分類をもとにイコノグラフィーの観点からアルフレッド・クーンが行った100点におよぶ『薔薇物語』写本の分析が『薔薇物語』研究の嚆矢となる(注11)。その後もクーンが言及することのなかった写本の研究が相次ぎ、今なおクーンの研究は基本であることにかわりはないが、『薔薇物語』研究は広がりをみせている。今日、『薔薇物語』は断片的なものも含めると310点もの写本が現存する(注12)。そのうちの230点には挿絵が挿入されているか、もしくは余白が残されており、挿絵が施されるはずであったことがわかる。現存する写本数を考えるだけでも当時の『薔薇物語』の人気のほどがうかがわれる。『薔薇物語』は、閉ざされた「愛の庭」を訪れた主人公(恋人)が、その庭の中で、心を奪われた「薔薇のつぼみ」を求めるという寓意物語である。恋愛における正と負の様相が擬人化されて物語は進行する。物語は一人称で語る作者(恋人)の見た夢で始まる。通常、『薔薇物語』の冒頭を飾る挿絵は、作者(恋人)の夢である。クーンはこの冒頭の図像タイプを六つのグループに分類している(注13)。第一のタイプは、ベットに眠る恋人を描いたもので、『薔薇物語』の挿絵として最も早く13世紀後半には出現した図像である〔図6〕。画平面に平行におかれたベットのうえに、左側を頭にして恋人が横たわる。ほとんどの場合、恋人は右手で頭を支えており、そのために上半身が起きあがり、前方へ腰が捻られるポーズとなる。「夢見る人」の典型的ポーズである。奥行きのない背景に薔薇の木が描かれ、眠る恋人の足下には、大概の場合、
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