鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―8―て機能を同じくしている。そしてエクフラシスは(複製版画と同じく)美術作品を客観的に描写するものではなく、その主題や感情を読み込むことに重点が置かれた(注28)。本稿にとって特に注目したいのはノーマン・ランドの発言で、彼によれば、ルネサンスのエクフラシスは作品や作家に対する批評を自らに内包するようになり、どういった批評の基準を採択するかということが作品の記述に大きく影響するようになったという。(注29)。本作と良く似た批評精神を発揮したエクフラシスとしては、ランドも引用しているものだが、フランチェスコ・サルヴィアーティ原画の複製版画〔図9〕を見ながらアレティーノが書いたエクフラシスを挙げることができよう。彼はサルヴィアーティから自作の複製版画が送られてきた際、返礼の手紙の中でサルヴィアーティの作品に見られるモティーフをラファエロやミケランジェロのそれと較べながら誉めているのだ(1545年)。「(サルヴィアーティの作品の)老人や若者の頭部には、ラファエロの作品において輝きを放っている優美さが認められます。さらに肉体のほかの部分には、ミケランジェロがたいそう自負している線のうねりが見られます。」(注30)サヌートがこうした修辞学の方法に、批評を織り交ぜながら原作を記述する態度を学んだことは十分あり得ることのように思われる。逆に言えば、彼は複製版画における原画の改変という慣習を利用することで、エクフラシスを視覚化しているとも言えるのではないだろうか。ところで、エクフラシスとの関連で付け加えるならば、この版画に見られるような、叙述の対象の作品にはなかったはずの君主の称揚の要素を付け加えることも、当時のエクフラシスではしばしば行われたことであった。例えばローマにあるヤーコポ・リパンダの壁画のエクフラシスには教皇を称揚する政治的な思惑が潜んでいることが指摘されている(注31)ほか、少々時代を遡れば、マントヴァの詩人バッティスタ・フィエラはマンテーニャの《パルナッソス》を詠った詩の中で、絵の登場人物をイザベラ・デステとその夫ジャンフランチェスコ・ゴンザーガに喩えたことが知られている(注32)。結論以上の議論から、まず、サヌートが原画に存在しないふたつのモティーフを導入することによって、原画とは本来関係のない意味を付け加えていることが明らかとなった。そしてこうした制作態度を促した背景として、エクフラシスという修辞学の形式を想定した。

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